オルビアの後についていくと、彼女が向かったテーブルにはいつぞや美術館で会った大男と、同じくいつぞやのライブで会ったヨーキという男がそこにいた。エースの顔が途端に明るく輝く。ヨーキさん!
「よう少年!」
「いやだから俺少年って年齢じゃないですってもう」
嬉々として開いた席に座るエースを見やって、俺はどうすればいいのかな、とぼんやり考えていると、サウロが笑いながらラム酒の瓶を押し付けてきた。これを飲めというのか。不思議そうな顔から心情が読み取れたのだろう、サウロはでれししし、とまた特徴的な笑いを上げながらサッチの肩を叩いた。
「おで達の時代はなぁ、コレがないと始まらねがったんだでよ」
「は、あ?あぁ…」
そういえば皆が皆して時代という。あの時代は、あの時は。周囲で騒いでいる奴等は男も女もみんな、何か昔に共通した出来事でもあったのだろうか。しかしそれはサッチにとっては何もわからないことで、正直その出来事をしりたいとは思わない。
サッチと同じようにこの空気に戸惑っている奴が数人いることを、さっきからサッチは視界の隅で捕らえていた。奴等も知り合いにつれて来られたのだろう、荒々しくも楽しい空気に驚き呆れながらも酒をおしつけられて、若干おっかなびっくり、会話に入っているようだった。
オルビアが座れというのでとりあえず席につく。室内は狭いはずなのに、違法改築でもしているのだろうか、人はあとからあとから姿をみせる。音楽はどこから流れているのか、楽しそうなチェロの音色、フィドルの跳ねるようなメロディは途切れる事がない。
「この集会は一体何なんすか」
「海を思う会だでよ」
「海?」
サウロは笑う。お前さんが知らないのも無理はない、と周囲の男共も笑う。俺たちは思いだしてしまった人間なんだからと笑う。あの記憶を知らない方が幸せということもある、そうだろ?
そうだろ、と聞かれても思い出さない方がいい記憶など始めから無いにこしたことはないと思うのだが。
「まぁ細かいことは良いじゃないか」
折角ただで酒が飲めるんだ、こんなにいいことはないぞとサウロがまたラム酒を貰ってきて口でその栓をひっこぬいて口に含む。それに釣られてラムを呷ると、さすが六十度の酒である。ぐらぁ、と一瞬視界が回った。気合で持ちこたえると、チェイサーを貰ってくる、と席をたった。
カウンターの男にチェイサーもらっていいかと聞くと、男はぶははははと笑い返してきた。お前、海賊の端くれなら水でラムを薄めるような真似はすんな勿体無いとけんか腰な台詞まで吐かれたが、全くもって意味がわからない。いや海賊の端くれってなんだよ。俺、海賊になった記憶なんかこれっぽっちもないんですけど。
とりあえずこれでも飲んどけ、と投げられたドイツビールのちいさな瓶を危なっかしげに受け取り、それの栓抜きを探しているとその辺にいた男が貸して見ろそれくらい抜いてやるよ、と歯で金属製の王冠を噛んで栓を開けてくれた。なんという歯力。軽く頭を下げると、てめぇに頭下げられると気持ち悪いからやめなサッチよ、と馬鹿笑いをされる。なんで俺が礼を言ったら気持ち悪いのか。
少しぶすくれながら席へ戻ろうとした所で、壁に一人もたれて煙草を吹かしている男が目に入った。この間海沿いでちらりと姿を見た時と同じくスーツを着ている。しかし仕事上がりなのかそれも随分と着くずされていた。
「やっぱりお前だったか」
「あれ、お前さんこんなとこよくわかったな」
煙草を傍らにある灰皿にねじ込みながらマルコは持っていた瓶を振る。それのラベルを見て思わず溜息をついてしまったのは仕方が無いといえるだろう。なんだってここにいる奴は皆ラムを好んで飲むのだか。
「…あー、呼ばれたんだよ」
「?」
「ほらあそこにいる、オルビアって人にな」
へぇ、と呟くマルコの顔が随分とつまらなさそうなのは気のせいだろうか。壁際にある小さなテーブルに瓶を置いてサッチも煙草を取り出した。咥えた瞬間にマルコがジッポの火をつけて差し出してきたのでありがたく火を頂戴する。そのジッポには鳥の羽模様が刻印されていた。
「…で、お前も“あの時代”とやらを知っているクチなの?」
「…」
マルコがこちらを見つめてくる。青い瞳は何も語らないが、無言であるということは肯定ととってもいいのだろうか。つまりこいつも自分の事を知っていて近づいてきたということなのか。
無償に腹が立ってくる。が、それを無理矢理押し込めながら、俺もその“時代”とやらにいたんだろうなきっと。と呟く。マルコは何も返事を返してこない。煙草の火はじじじ、と音を立てるばかりだ。
そういえばこの建物の中は混み合いまくっているはずなのに、どうしてかマルコの周りには人がいなかった。不思議なこともあるもんだ。と何か面白いものを見つけたような感覚で思う。肺に吸い込んだ煙を換気扇に向かって吐き出しながら、あぁでもこの喧騒、苦手ではないなと思う自分がいた。
「…お前は思い出さなくてもいいよい」
「は?」
「記憶は枷にしかならねぇ」
だって、そうだろ。その声に混じったものに驚いて傍らをみやると、感情を丸出しにしている表情とぶつかった。その表情にまた何かがちりちりとひっかかれるのを感じる。あれ、この顔を俺ってば知っているんじゃないかしら。
いつもならその感覚が不快でたまらないはずなのに、しばらくその感覚を享受しつづけていたいと思ってしまっていた。
[3回]
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