久方の~の続き
あはは、と七松には珍しい苦笑をすれば立花は濡れた手ぬぐいでその血化粧を乱暴に拭い去って言う。この間は文次郎のやつがおかしかったが、今日はお前も変だな。何かに当てられたか。
あてられるという言葉にさらに笑みを深くした七松はとりあえず己の首筋に流れ固まっていてた血糊を湯に浸した手ぬぐいでぐいぐいと拭う。すると首筋にできていた傷の瘡蓋が剥れたのか、またうっすらと血が滲み出す。風呂桶に手ぬぐいをつけてごしごしとあらうが血液は湯につかると返って固まりやすく、取れにくくなってしまうので、これには七松も閉口した。
「それでもんじはどうしたの」
「何日も寝ておらずに授業中にへまをしやがって」
今頃保健室で伸びておろだろうよ、と困ったように笑った立花に釣られて七松も笑った。さてと、と長い髪を上でひとくくりにして纏めた立花は湯船に入る。他の奴らが、そういえばまた出たらしいな、と興味津々げに立花に話を振る。立花当人としてはあまり興味のわかない話ではあるが、如何せん学年主席を誇る彼に話が集まるのも道理だ。
「私がそいつに会ったときの対応が知りたいのだろう」
「そーそー。天下の仙蔵様が昨今この辺によく出てる凄まじい腕の忍と対峙したらどうなるかってなぁ」
「……俺、今日そいつに会ったんだよ」
しん、と風呂が静まり返るのを何か不思議なものでも見たような目で見回す立花と、何時に無く疲れた顔でもって殺気にあてられて己も殺気立っている七松に視線が集中する。
「…あんなに死が親しいものと思えたのは、わたしは初めてだったな」
「……」
ごめんな、俺やっぱりもう一回走ってくるわ。そういい捨てて七松は逃げるように風呂を後にした。その背中を訝しげに見やる全員の中、七松の様子から見て、潮江も同じ目にあったのだろうかと考えていた。
風呂から上がった後、立花は自分の部屋へと湯飲みを持って歩いていた。風呂上りは皆一様に水を飲みに行くか茶をもらっている。皆と茶を飲むつもりは無く、さっさと自分の部屋へと取って返した。いつもより長湯をしてしまった、体中が火照っている。しかも今日の湯は普段より熱かった、と些細なことを考えながら自分の部屋の戸を開けると、保健室から戻ってきたのか、ぼさぼさ頭が目に入った。
「何だ、帰って来たのか」
「おぅ」
「少しは頭を冷やせたか」
「……授業中に世話かけたな、すまん」
「やめろお前が謝罪など気色悪い」
「なぁ仙蔵、お前は死を悟った瞬間をあるか?」
「唐突に何を…」
のしのしと縁側まで歩いてきて、どっかりと座り込んで空を見ながらつぶやいた。武器の手入れの途中であったのか、両手が打ち粉で白かった。遠くでいけいけどんどーーーん!と怒鳴り声がする。さすがに後輩等は連れていないのだろう、その声音はあっという間に裏山へと消えていった。
「あの殺気の主のことを考えていた」
「…今日、小平太も、会ったらしいぞ」
「あいつも俺と同じか…」
「あてられている、と疲れた顔で言ってたんだがな」
「小平太の場合は直に接触したんだろう」
なら、余計に己の無力さが感じられたろうに。その言葉に立花は予想外だと眉を跳ね上げる。
「そいつはそれほどまでに凄まじいのか」
「凄まじいぞ」
直接会ってはいないがな。隈の濃い顔でにやりと笑うと、俺も茶を貰って来るかなぁと呟いて潮江は行ってしまった。とりあえず己の卓に湯飲みを置いて髪が乾くまで書物でも読むべく火をともす。七松と潮江があてられるほどの忍か。そいつに直に会って見たいな、と思うのは本当である。だが己の死を自覚しに行くのだけはまっぴらごめんだった。
と、唐突にどたんっ、と己の部屋のすぐ外で何かがこけたか倒れたかした音が聞こえた。一瞬油断をしていたので盛大に肩をびくつかせてしまったが幸いそんな瑣末な失敗をよく目撃しては爆笑する潮江はいなかったのでよしとする。とりあえず何がどうした、と声を戸に向かって投げかけた。
「あいったぁー」
「何だ貴様か、食満」
「すまなかったな、仙蔵」
「いや、別段気にしてない」
戸の向こう側かわら聞こえた声はやる気が感じられないゆるい声。だが次の瞬間に、拭いきれぬ臭いがふわりと香った。硝煙の臭い。今日はは組は鉄砲や火薬を使う授業など無かったはずだ。
「食満」
「いつつ…何?」
戸をあけてそこに足の小指を押さえて蹲る姿を認めながらその目の前の姿に声をかける。やはり臭いはこの男から漂ってくる。何者だ。
「何で硝煙の臭いがするんだ」
「戦場に行ってたからさ」
「ここから今戦をしているところといえば」
「黙れ仙蔵」
声のトーンが、下がったのを耳が聞き取る前に肌が感じた。
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