それは、あいつがもう冷たくなった後に発見されてエースが飛び出して行ってしまってから二日も経たない夜の甲板でのことだった。その晩は四番隊が夜番で、いなくなってしまったサッチの代わりにマルコが隊長代行として彼等の前でいろいろと指示をしていたときのことだった。
「マルコ隊長は、悔しくないんですか」
マルコの指示の声を遮るように上げられた声。常に眠そうな眼を軽く見張って上がった声の方を見やると、それは四番隊に入ってから時間は経っているがまだ若い部類の奴だった。マルコとあの男が笑いながら酒を飲んでいると、しばしばつまみをさりげなく持ってきて話に入り込み、居座ろうとして仲間に引きずられていく奴でもあった。
そいつは目に涙をいっぱい溜めていて、まるで子供の様に肩を声を震わせてマルコを睨み付ける。俺たちはサッチ隊長が殺されて悲しいです、悔しいです、寂しいです!なのに、なのに貴方は。
「涙一つも見せようとしない」
周囲がおい止めろとその青年の肩に手をかける。方々からかかる手を振り払って青年は叫んだ。貴方はサッチ隊長の亡骸のそばでも冷たいままだった!貴方は、サッチ隊長のことが大切ではなかったのですか、どうでもいい存在だったのですか。あんなに、あんなに側にいた存在だったのに!
マルコはそれをいつも通りの視線で見つめ、ようやく一息ついたのか下をむいた青年に向かって一言、呟いた。言いたいことはそれだけかよい、と。四番隊の男達はざわざわとさざめく。なんと冷静すぎるお方かとかすかに響いた声もあった。しかしそれを意ともせずにマルコは四番隊を見回す。
「さて、今晩は近くに海軍の船と小物の船がいるという情報があった。見張り台に立つものは気ぃはっとけよい」
それだけ言うと、マルコは解散と言って踵を返した。隊長代行の発言だ、しかも兄貴分には逆らうつもりはない。しかしさっきの青年は我慢がならないとばかりにマルコに飛びついた。
しかし、周りの奴等があ、と思う間もなくその青年は甲板に叩き伏せられる。マルコの顔色は全くかわらずにそこにあった。歴然すぎる力量の差に青年は悔しさ余って涙をボロボロとこぼす。
「お前等に泣かれるだけ、あいつも幸せさ」
マルコはそう言って甲板を後にした。
マルコ隊長は冷たい人だ、とまことしやかに囁かれるのは今に始まったことではない。一番隊隊長ともなればモビー全体のことをまとめる業務が多くなる。必然的に他の隊よりも仕事が多い。しかしそれを嫌味一つ言わずにむしろ自ら進んでそれをこなす姿はいっそ恐ろしいものであったのかもしれない。自分からみればそれは当たり前のことで、何かがかわったとすれば、側にいたはずの影がなくなってしまったことくらいである。
モビーは海を進み続ける。海に還って行った命の抜け殻を小さな小船に乗せて。その小船はやがて遠くなり、見えなくなり、そしていつしか仲間の記憶からも消えていくのだろう。そう誰しもが思ったはずだ。しかし四番隊の奴等はちがう。あいつを敬愛し、兄貴と慕い、あいつのためにああやって泣いている。
いい部下をもったもんだな、あいつもと、ふと書類に書き込む手を止めて考える。そして、この時間帯にはいつも自分の部屋に押しかけてくる二人の姿がないことに違和感を感じて背後を振り返る。一瞬、人のベッドに潜り込んで笑っているエースと、ベッドの淵に腰掛けて笑っているサッチの姿が見えた気がした。
「…ついに俺も寂しさにぼけるか」
っていやそんなあほな、と自身を叱咤して作業に戻る。驚くほど作業は捗らなかった。四番隊のあいつ、名前は何といったか。サッチならすぐに思い出すのだろう。なんせ全員の名前を空で言えた奴だ。すぐに名前を挙げて、なんだお前まだ全員の名前覚えてないのかと笑っただろう。
あぁサッチ。
口元に笑いを湛えていつまでも終わらぬ作業の続きをはじめた。
それから暫くしてからの事だ。ある島に寄港した。数年ぶりで、たしかこの島にはサッチが懇意にしていた娼婦がいたはずである。補給などの作業を終了させてからその娼館へ赴いてみると既にその噂は伝わっていたのか、その娼婦は涙をながしながら、しかしマルコの姿を見て笑った。
貴方が泣いていないのに、私が泣くわけにはいかないわよね。
この女はこちらの矜持が見えるのかと驚いたものだ。そのままその娼館の応接室で酒を飲んでいると、再び四番隊のあの青年に会った。必死にサッチの好きだった娼婦へ声をかけていた。彼女は泣くまいと唇を噛んで笑っていたのに、しまいには再び泣き崩れてしまう。
「やめねぇか」
マルコは酒のグラスをことりと置いて呟いた。青年はこちらをきっ、とにらみつけて言う。あんたには関係ない話しでしょうよ。だってアンタは、あの人がアンタをどれだけ好いていたか知らない。その言葉に眼を細めて、座っていたスツールをくるりと反転させ、その青年の前まで歩いていって、静かに言ってやる。
「お前の中のサッチは、それでいいんだよい」
「どういう、」
「アイツは俺が、たとえアイツがいなくなろうと泣いたりしない。それが望みだった」
嗚咽を上げていた娼婦もいつの間にかこちらを見上げていた。賑やかだった娼館はいつのまにか人気もまばらになり、静まり返っている。数少ない人間だけが今起こっている事と、真実を耳にする権利を与えられたのである。
「その望みをかなえることこそ本望。そしてそれをかなえられたサッチこそ、」
それこそが私の、私だけのもの。
マルコはそれだけ言い切ると、酒代には多すぎる金を置いて娼館を出て行った。
[2回]
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