そのまま身動きが取れなくなって二日がたった。どうやら外では
大騒ぎらしい。御勅使が斬られたとかなんとか。女のサムライが珍
しいのか用心棒が何人も様子を見にがてら世間話を落としていく。
その中の一人、上から下までどピンクに包まれた奴はその時の様
子を実際アクションしてくれたものだから小一時間笑いが止まらな
かった。
そういえば、彼の相棒は数日前に頬に傷のある侍に斬られて亡く
なったのだそうだ。真っ先に浮かんだのはあの芸人侍。シズクは連
れ去られる前の日に一度勧誘を受けた。断りはしたが昨日あたりに
その集団の大将なる人を連れてくると言っていたのを思い出す。
(あぁ、ゴロさんに悪い事しちまったなぁ…断った上に裏切るなん
て)
だがキヘエのことを思うと動けなかった。更にウキョウは刀を返
すとか言って走って行ったくせに一向に返してくれる気配が無い。
あれは端から聞き流すつもりだったんだと己の情けなさに思わず溜
息が出そうだ。
「シズクくん入るよ」
「入ってくるな化粧男…また人の話聞かないし…」
「暇なんだよねぇ、そこのヒョーゴと打ち合ってみてよ」
「刀相手に素手でやれってのか」
「そんな馬鹿なこと言わないよ。ホラ、これでしょう」
後ろにいたヒョーゴというらしい侍がポンと投げたのは紛うこと
なきシズクの刀。ご丁寧に布も組紐も取り払われ、鯉口を切ってみ
れば綺麗に研がれている。
「僕が研がせようと思ったらねぇ、既に研いであったんだよソレ」
「へぇ」
「で、今日はキュウゾウがどっか行ってていないからヒョーゴとや
ってみて」
「あぁ、そう、嫌だ」
「君も大概人の話聞かないよね」
「アンタと比べられても困る。私はちゃんと受け答えしてるし」
刀が返ってきたのでとりあえずコレは肌身離さずにいようと決心
して、身体の左側に差した。ウキョウがなんだかんだ言っているが
言葉は一つで返す。私はキュウゾウとしか試合はしない。
じゃあ、明日でもいいからやってよね、キュウゾウは捕まえとく
からさ。キラキラ輝いた顔を思わず張り飛ばしてしまったのは仕方
がないと思って欲しいものだ。
ついでにヒョーゴにも謝っておいた。私に今一番近いのは彼だけ
である故、貴方を避けたわけではないと。彼はやけに顔色が悪く見
える口紅を塗った唇を軽く苦笑の形に歪めて見せた。
逃げる!
父親にも打たれた事ないのに、とまるで何処の機動戦士の主人公
かと思うような台詞を言ってウキョウはプリプリと怒りながら行っ
てしまった。後から笑いを懸命に堪えるヒョーゴが付き従ったのは
言うまでも無い。こちらもゲタゲタと笑いながら涙を拭いた。
さて、ウキョウが去ったなら次に襲ってくるのは御側女衆だ。一
生懸命着飾った娘達は、その怒りのあまり般若のようになった面を
化粧を施してようやっと覆い隠してやってくる。そして言いたい放
題嫌味を口にして、シズクを怒らせようと頑張るのだった。
ところが嫌味を言われる側のシズクは大抵自分の耳を掃除しなが
ら、爪を切りながらや寝転がりながら、とかでさんざん嫌味を聞き
流した後に一言告げるのだ。それであんたたちの言いたいことは御
仕舞いかい、と。
勿論、シズクの一言で簡単に激怒する者も白粉が落ちるのではな
いかと思うほどプルプル震えながら怒りを堪える者もいる。後者は
この御側女衆の中でも古株なのか、随分と精神が鍛わっているよう
だ。一番ウキョウに可愛がられているというワーリャが周囲を黙ら
せると、シズクはようやっと二言めを言う。
「あんた達の護衛なんぞ自分の顔の化粧取ったら向こうから避けて
通ってもらえらぁな」
だから私はお払い箱だよなぁ、違うかいワーリャ殿。金髪の美し
い赤い着物を着た彼女は微かに口元を吊り上げたまま言い返す。私
達では野蛮な侍から身を守ることができませんの、だから同じく野
蛮な貴女を使って相打ちをしていただこうというつもりなのよ。
それを聞いてにぃ、と笑ったシズク。野蛮で結構結構。侍がどこ
ぞのボンボンみたいに人も斬ったことがないなんてお飯事もいいと
こさ。それとも何かい、あんたら試しに斬られてみるかい。言葉と
共に鯉口を切って見せたので、彼女達はこの二日間変わらぬ反応を
しながら我先にと逃げ出した。
「…何の騒ぎだ」
「お。ヒョーゴ殿」
「御側女衆が寄って集ってウキョウ様の下へ行ったぞ」
「あんまり姦しいから鯉口切ってみたんだよ。女沢山かいて姦しい
なんて先人は上手い事いったもんだよなぁ」
「…馬鹿を言ってるんじゃない」
よっこいせ、とシズクの部屋に上がり込むヒョーゴにシズクは軽
く問う。こんなゴテゴテした館でよくもまぁ平然と生活できるな、
あんた等。ヒョーゴは目を眇めて言う。十年も過ごせば慣れる。
「十年…戦後すぐからマロの奴についてるってのかぃ」
「マロ“様”と言っとけ一応」
顔を顰めながら言うヒョーゴにケタケタと笑う。笑いながら彼女
は宣言した。刀が戻ってきたし、近いうちに此処から出るわ。男は
その余りに能天気な宣言に思わず溜息を一つ落とし、これから独り
言を言うから、耳をかっぽじって聞いてろ、と呟いた。
「…今日の夕刻にキュウゾウとお前の試合がある。その際キュウゾ
ウからなんぞ言われるだろう。その内容をしかと覚えておけ…警備
は今晩は手薄だった気がするな。侍狩りに出ているからな。旅の商
人の格好でもするとすぐに虹雅渓から出られるだろうな」
耳ではなく、思わず目をかっぽじったシズクであった。
そのころ、街中では。
小さな姿の少女が姉らしい人の手を引っ張って歩いていた。後ろ
には端正な顔をした青年。腰には刀が差してあるがまだ人を斬った
事などその若さでは皆無に近いであろう。彼の名を岡本カツシロウ
と言った。
先日ゴロベエとヘイハチ、カンベエとキララがある人物を勧誘し
に行くと言って出て行ったのだが、帰って来た彼らはその人物がい
なかったことを話した。
今日ならばいるかと思い、では私が行ってまいりますとキララ達
の後についてきたのはいいが、そのとある人物のことを聞いた彼は
その剣術の素晴らしさを聞いてどんな人かとしきりに考えを巡らし
ていた。
聞けばその人は女だてらに物凄い剣士で、ゴロベエ相手に利き手
とは逆の手で対等に戦ったと。三本の矢を一度に放ち、同じ方向に
飛ばしたばかりでなく、剣士らしさをまったく感じさせぬ気持ちよ
い笑顔をいつも浮かべている御仁であると言う。
ヘイハチのような人を思い浮かべたが、彼が言うにはその人は気
配をまったく悟らせずに近づくことができると。また、カンベエの
知っている方でもあるらしい。これは是非お近づきになっておきた
いものだ、と青年は気負っていた。
キララはそんなカツシロウを見やり、気取られぬように溜息をつ
く。彼からは戦場の匂いが全くしないのだ。そしてその身なりのよ
さから良い家育ちのお坊ちゃまであることも想像に難くない。
なにより最初に出会ったとき、普通の旅人ならば絶対に泊まる事
のないいかにも高級そうな宿を指差し今日はここで休もうではない
かと言い出したのだ。その世間知らずさは、今もなかなか抜けない
ようである。
自分も人のことをいえた義理ではないのだが、この人は村に来る
べきでは無い事だけは言える。水分りの水晶もそのことを警告して
いた。
と、視界の端に赤い色が見えた。とっさにそちらを見やればやは
り、カンベエと剣を交えた赤いサムライ。恐ろしさに手が震えた。
が、おかしなことにそのサムライは旅の商人が背負うような四角
い木箱を背負っている。というか両肩で背負うべきものを片紐で背
負っている。何処へいこうとしているのか彼女には分かりかねた。
「いいのですかな、カツシロウに彼女が連れ去られた事を言わなく
ても」
「…構わん。もし店に戻っていたとしても、奴の目に見つかるほど
シズクは馬鹿ではない」
「またまた酷い言い様ですな」
「シズクは父親と三の丸を護り切ったほどの手練れだ、それくらい
は容易い」
「貴殿が知っておられるシズクなればの話でござろう」
片眉を上げてカンベエを見やる男は、己の勘の良さに驚いていた。
やはりあの者、功刀の娘であったか。口ではそれを疑う事を吐いた
が、内心では既に信じきっているも同然だった。カンベエは目を閉
じたまま静かに言い放つ。
「御主やヘイハチ殿の話を聞いてあ奴であると信じておる」
さて、問題はどこで会うことになるのか、だ。目を開いて呟いた
男の口調は実に楽しそうであった。そしてすぐ後に、キクチヨが大
量の“外れ籤”を率いて現れることになる。
「シズク君、キュウゾウを捕まえたよ」
「あーそう今日は眠いからまた明日にしてくれるかな」
そんなことを良いながらよっこいせと身体を起こす。ヒョーゴに
言われた通りに行動できなければこのままずっと、この眩暈を起こ
しそうな屋敷でつまらない日常を送ることになるのだ。そんなのは
ごめんだ、とシズクは思った。
やけにシズクの着ている衣装が気に入らないのか、ウキョウは廊
下を歩みながら何度も着替えてきなよと言う。喧しいわ小僧と一度
怒鳴ったらキュウゾウにべチコンと叩かれてしまった。見やれば視
線が“ツベコベ言わずにさっさと歩け”だったので大人しく付いて
いく。
白砂が眩しい中庭に出た。いつもキュウゾウやヒョーゴが鍛錬を
している場所だ。そこにはウキョウが言いふらしたのか、アヤマロ
や用心棒達、ついでに御側女衆までいた。
御側女衆の白い目線をさして気にならぬ風で受け止めつつ彼女達
に冷たい目線を送り返す。途端に彼女等はお喋りをやめた。試し切
りされては適わぬと思ったのだろう。いい判断だ。
「じゃーテッサイが審判してよ」
「承知」
「ちょいまち、こちとらずっと運動してないんだ、準備体操くらい
させてもらっても文句ないよな」
「いいよー…ねぇ、やっぱり着替えない? 」
「だまっとれガキが」
よっと掛け声をかけて屈伸運動を二回、手首と足首、頭を回して
慣らすと試合う場所まで出る。ウキョウはさっさと御側女衆の所で
酒盛りを始めていた。
「キュウゾウ殿、ハンデはしてくれるかい? ここ四年ほど刀を振
ってないんでね」
「どの口がそれをいう」
言葉と共に背に背負った両刀を一気に引き抜き、眼前に迫る!
シズクは慌てず真っ直ぐに刃の軌跡を見切るべく目を皿の様に開い
て煌きを凝視する。
そして刃が止まる。片方は刃同士、もう片方は刀の柄と刃である。
このような攻撃の受け止められ方を以前にもされたな、とキュウゾ
ウは思った。だが今己の興味は相手の力量を測る事。余計な思案は
しない。キュウゾウは己の役目を忘れかかっていた。
何合も打ち合っただろうか。何撃も打ち込むキュウゾウとは裏腹
に、シズクは防戦してばかりだ。ウキョウが詰まらなさそうに鼻を
ならす。
「シズク君、そんな程度じゃないでしょ」
「じゃかぁしい、放蕩息子は黙ってろ! 」
女とは思えぬ暴言にアヤマロはひいぃ、と顔を真っ青にするがテ
ッサイの嗜めによって何とかその体裁は貫いた。皮肉な笑みを父親
に向けるウキョウ。
シズクは何か変だなぁと思っていた。キュウゾウから何らかの情
報を得るのではなかったか。忘れてるんじゃないだろうなこの茸頭
は。
「キュウゾウ、私に伝える情報があんじゃないのかぃ」
「……っ、七階層の木賃宿、505号室だ」
「あいよっ」
鍔迫り合いの最中に小声で促すと、やっと使命を思い出したのか
やはり小声で返答が来た。それにニタリと笑むと、こちらから刃を
弾く。キュウゾウの刃の猛攻は凄まじい。シズクはかなり気分が高
揚していた。キュウゾウの気に当てられたか。
するすると身体を泳がせるようにして避けながらも、服に傷が出
来ていく。用心棒の一人が呆然と呟いた。
「あのキュウゾウと互角に戦えるのはヒョーゴだけだと思っていた
のに…」
御側女衆も色を失っている。自分達はあれ程までに凄まじい女を
さんざんコケにしようとたった二日とはいえ努力してきたのだ。今
命が永らえているのは彼女の気が長かったおかげであろう。
しかもキュウゾウと対峙しているのに視線はちらちらとこちらを
向く。そのどれもが小柄のように刺さるのだ。氷の刃を透明にした
かのような鋭利さをほこる視線は、それだけで凶器となった。
(びびってるびびってる)
内心ではそれを指差して転げまわりたいところだがそんな事をす
ればキュウゾウに首を飛ばされる。そろそろいいかげん疲れてきた
ので、さっさと試合を終わらせることにした。
きぃん、と弾かれる音がしてシズクの刀が飛んだ。それが上手い
事にワーリャのまん前にささる。ひっ、と思わず悲鳴を漏らした彼
女はウキョウの不興を買った様だ。冷たい目線がすぐ側から降って
きた。
「勝者、キュウゾウ」
「さすがキュウゾウじゃ、褒めて使わすぞえ」
あまりの拮抗状態にハラハラしていたアヤマロは、その様に狂喜
して意気揚々とその場を去っていく。テッサイがシズクの刀を拾っ
てきた。呆れ顔が見える。
キュウゾウは。ちらりと視線を送れば、やはり。怒っていた。フ
ン、と鼻であしらって両刀を納め、彼はスタスタとその場を去って
いってしまった。
「怒らせたなぁ…」
「手を抜くからだろう」
「抜いてなんかいませんよ。あれで手一杯。さすがキュウゾウだ」
いつの間にかテッサイとも仲直りしたようである。シズクは意外
と人を気に入る、気に入らないの差が激しいが、この間卑怯な手口
を使おうとしたこの男の事は気に入ったようであった。
「御主、今晩に」
「えぇ、お世話んなりました」
「バレないよう手は打っておくがそれほど持たんからな」
「…申し訳ない、気苦労耐えないと禿るぜテッサイさんよ」
「そう思うなら少しは気を汲んでくれ」
あはは、と笑ってシズクはまたもとの六畳間へ引っ立てられてい
った。同じサムライとしては腹立たしい限りであるが、彼は忠誠を
誓った相手を決して裏切らない人間でもある。雇い主を裏切るなど
到底出来ぬ業であった。
その日の晩。天井の一部をぶち抜いて、屋根裏を四つんばいで進
む気配が一つあった。だがそれは余程敏い者でなければ分からぬく
らいに殺してあるものだ。もし気がついても鼠かなぁ、程度で済ん
でしまうだろう。もっとも、鼠というのは暗に侵入者を指す言葉で
ありとても危険な事には変わりないが。
「(うっわ、これ黒檀じゃね?金使ってるなぁ)」
「(いらんこと抜かさず早くいけ。穴は塞いどいてやる)」
「(すまないな)」
穴から顔だけ出して見送るテッサイに目礼し、シズクは梁を伝っ
て進む。夜目が効くってかなり便利だなこれ、と訓練の賜物を今更
ながらにありがたく思うシズクである。
アキンドの屋敷は豪勢な作りであるがその天井は大抵繋がってい
る事がおおい。豪邸である為にいちいち細かく梁分けをするわけに
はいかないのである。
ひょいひょいと伝って、あっというまに人気のなさそうな天井の
上についた。小柄で板を上げて下を覗き込むと、予想通りだれもい
ない。ヒョーゴやキュウゾウ、テッサイ等侍仲間に感謝しながら彼
女は天井板を外し、飛び降りた。
今晩が警備薄なのには理由があった。番屋をキクチヨが破ったお
かげで彼らを追いかける人員が必要だったのだ。幸い、掴まってい
たらしいサムライ崩れからの垂れ込みで場所はすぐに分かったが、
如何せんそこにいるサムライ達は一癖も二癖もありすぎた。
マサムネの手引きで昇降列車までたどり着いた一行は、それぞれ
の役割に自ら付いた。ゴロベエがキクチヨと見張りに付いたのはも
しかしてシズクが来るかもしれないと思った故だ。もし来たら此方
としてはとても頼もしいのだが。
残念ながら現れたのはヤカンやかむろ達である。キクチヨと賭け
をせぬかと戯れながら、その顔には一抹の落胆が垣間見えた。
「カンベエ殿、シズクさんは来なかったですねぇ」
「だが我々のこの事態が丁度いい好機となろう」
「ですね」
やがて昇降列車は最下層目指して暴走し始める。
七階層まで降りるのはさして苦労しなかった。このあいだ女の子
が落ちたというパイプを探してうろついたが見つかるはずも無い。
諦めて岸壁と岸壁をつなぐ橋から下の階層まで飛び移って降りてい
く。丑の刻に移動しているのは何か皮肉なものだな、と笑いながら
やがて七階層の地面に降り立ち、木賃宿の固まる地区まで歩いてい
った。
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