初めてゴロベエとチャンバラをしたのは、出会ってから一週間後
だった。行かなかったのではなく、行けなかったのである。キヘエ
の店が忙しかったのも事実、予想外の事が彼女の身に降りかかった
のも一因だった。
刀を借りて、刃の上で独楽を回してみせたり、簡単な殺陣をゴロ
ベエと音楽に合わせてやってみたり、形を披露したりすると、方々
から沢山のおひねりを貰った。
殺陣をやるときにゴロベエがいつも妙に嬉しそうな顔をするのが
不思議だったが、それは一度彼の頬を掠ったときに判明した。彼は
命のやり取りの中で今にも己の命が失われるかもしれない一瞬間に
おいて生きる事の快楽を感じるのだ。それによって己が生きている
事を認識するのだという。そういえば矢当ての大一番の見世物でも
よく恍惚とした表情を見せている。
戦場に、心を残したままなのは彼女も一緒だ。あれほど死ぬよう
な思いをしながら各地を転戦し続け、最後の最後で負け戦を潜り抜
けて生き延びた。戦争は真っ平だと戦争が終わるまで言い続けてい
た。なのに、平和になってからまた戦地を恋しがっている。
サムライとはそういうものだろうよ。ゴロベエは苦笑しながら言
った。それに呼応するように無意識に目を細めるシズクの姿があっ
た。過去にもそう言っていた人物を思い出したのである。吹き付け
る風に軍服の上に羽織った肩上(わたがみ)、喉輪つきの白く長い
陣羽織と、風にたなびく三本の髷、まるで手足のように振り回され
る朱塗りの仕込み槍は、今も彼女の目の前でちらついている。
睨む!
その日は狭く切り取られた空の下、多すぎる人の合間を縫ってキ
ヘエに頼まれた使いの仕事を終わらせる為に道を急いでいた。階層
を降りて降りて降りて、第六階層まできた。その階も随分と物騒で
あるがシズクはさして気にした風もなく人ごみに紛れる。何度か人
に聞いてようやく探し当てた六階層の隅の隅、そこに目的の御仁は
いた。
歳のせいで随分と背が縮んだのか、随分と低い背丈の初老にかか
るかいなかの男の家の中は発明品なのかガラクタなのかまったく分
からない物で埋め尽くされていた。それでも一応戦艦に乗っていた
身としてはとても面白い。主人が留守っぽいのをいいことにあれこ
れひっくり返して見ていると、がしゃこんという音が聞こえた。
「おぅテメェだれでぇ」
「っとと、びっくりした……」
足元の頭らしいものが急に喋りだしたのだ。目であるらしいとこ
ろがかちゃかちゃと開いたり閉じたり光ったりしている。機械の侍
らしいが、これは今までに見たことがない形であった。身体を換装
した侍ならば通常は雷電か紅蜘蛛型になるはずだ。なのにこの御仁
は普通の人よりちょっとばかしでかいだけの顔を持っていた。
「そりゃーこのサイズは規格外だわなぁ…」
「おいオメー普通に俺の顔だけ見て全体サイズとか抜かしてるんじ
ゃないだろうな」
「あれ、違うんだ」
「怒るぞコラ」
かちゃかちゃとせわしなく目を開閉するさまは人間の瞬きによく
似ている。雷電型は瞬きなんてなかったよなぁ…と感慨にふけるシ
ズクをよそに、目の前の侍の一部分は声高にさけんだ。
「マサの字ィ、客だぞ。聞こえてんのか、マサの字ぃ」
「何度も呼ばれなくてもちゃんと聞いてるってんだよキクの字」
とうとう耄碌しやがったかこのやろぉ、とまで言ってから侍は黙
った。くすくす笑うシズクを横目に、男もにやりと笑いながら彼女
の目の前に立つ。
そして彼女を値踏みするかのように上から下までじっくり観察し、
最後に男の目はシズクの瞳を真っ向から睨み据えた。シズクはそれ
を面白そうに見返す。
「キヘエのとこの人かい」
「そうです。…マサムネさんですね? 」
「そうだ」
「おい俺を放置して喋んな」
菊千代と、機械の侍は言うそうだ。彼はいつのころか己の過去を
抹消したらしい。その身体の換装と共に。シズクとて追求する気は
ない。己だって過去を忘れようとこの四年間生きてきたのだ。彼の
気持ちは分からないでもない。
マサムネという男は菊千代とは付き合いが長いらしくマサムネは
彼に、置いてきぼりにされたくなけりゃ斬られないようになれ、菊の
字ぃと言って笑っている。
笑いながらゴソゴソして、なにやら取り出してきた。布に包まれて
いる為に中は分からなかったがそれが硬いものであることは感触の
それで知れた。
当たり障りの無い世間話をしてそろそろ辞することにした折、マ
サムネはシズクに言った。あんたも何か頼みたいことがあれば言い
な。それに思わず言ってしまった。一振りの刀を研いで欲しい、と。
マサムネはそれに不審な顔こそしなかったが内心首を傾げた。キ
ヘエに頼まれたのも確か大小の太刀ではなかったか。後ろでは菊千
代が早く身体と顔を接合してくれと喚いていた。室内には彼の声と
小さく唸る機械音が木霊している。
マサムネに渡されたものを抱えてシズクは上の階層へと道を急ぐ。
彼女の側を御用車がゆっくりと通り過ぎた。マロ様の馬鹿息子がそ
れに乗って、原石となりそうな女を探している事はすでに噂で知っ
ている。
己がまさかそれの対象となるとは夢にも思わなかっただけだ。ま
た収穫物を載せて意気揚々と二階層の浮舟邸へでも向う途中なのだ
ろうと高をくくっていたのである。
不意に御用車が止まったのを見て、またどっかのお嬢さんが行方
不明になるのかねぇと呆れながら側を通り過ぎた。下ろされていた
車の御簾が微かに巻き上げられていたのを視界の端で知る。中から
覗いていた視線は、べたべたした感触を持っていた。
ジャンベの深い音のリズムが腹に響く。それがかつての戦時にお
いての気合砲の爆発音を思い出させて肌が粟立つのを感じる。シズ
クは己が目立ちたいわけではなく、あくまでもこの芸を人々に見せ
ているのはゴロベエであることを理由に狐の面を被っていた。視界
が多少悪いことはゴロベエも知っていると見えて軽く手加減を加え
てくれると言っていた。
互いに抜刀し、人だかりの中心で対峙した相手を睨み据えながら
円を描く様に間合いを計りあう。群衆はそれに只ならぬ空気を感じ
て一切言葉を発そうとしない。ジャンベやシタールの音が響く。タ
ムの軽い連続音が楽しそうに舞い上がる。
あらかじめ、相談はしておいた。真っ先にシズクはゴロベエの元
へ飛び込む。きぃん、と鋭い金属と金属のかちあう音がして真っ向
から鍔迫り合いで先手をはかる。
しかし力ではゴロベエの、男の力に勝てるとはとうてい思えない。
仕掛けておいて逆にシズクは己の身体を泳がせゴロベエの斬撃を切
り抜ける。刃の放物線をやり過ごしながら下段から切り上げる!
ゴロベエとてそれくらいは読めている。あえて彼女の思惑通りに
行動し、一ミリの差で切っ先を避けた。背筋がゾクゾクする。こん
な緊張感を今まで感じた事はあの戦場でしかなかった。芸事でいく
ら命を売る真似をしていても、感じる事のなかった感覚だ。
シタールの半音階の響きが戦闘意欲を掻き立てる。共鳴弦からの
音が耳をうつ。
目の前の狐の面を被った女はまるで底知れない力を持っているの
だろう。数知れない戦場を潜り抜けてきた者のそれだ。まるで避け
られた事を気にしていない様子で次の攻撃を繰り出してくる。
互いに超振動を起こさぬようにしようといい合わせていた。侍で
あることが知れ渡るのは面倒臭いと思ったゆえである。ゴロベエに
シズクは刀以外の獲物も使ってみてくれと言われた。だから一合刃
を交えただけで刀を持ちつつ弓を首にかける。小さな箙に矢を三本
刺す。
そして彼女は八双の位置に刀を掲げる。ゴロベエは正眼の位置に
軍刀を持ってきている。こんなところで形重視の構えをするとは本
人も思っていなかったらしく、軽く口元が僻んで見えた。
ジャンベとタムが不思議なリズムを生み出す。観客のなかには踊
り出しそうにしている者もちらほらいた。こういった音楽がすきな
のだろうことは周囲のものも分かるらしい。
端から見ていると二人の剣技は静まり返った中で行われる、美し
い剣技と言うものではもはや無くなっていた。侍同士の、命をかけ
た戦いとも違っていた。もはや楽しみのそれであった。
激しい剣撃の音が交錯する。壁際に追い詰められかけたシズクは
壁に剣を突き刺し、それに乗っかりそこから壁を垂直に登りだす。
ゴロベエはそれを後をあえて追わない。彼女の行く先を目を細めて
追い続ける。
これ以上は重力に負けるという一点で彼女はかるく跳躍し宙返り
をして、頭を下に真っ逆さまの状態になると徐に背の矢を三本引き
出し纏めて弓にかけながらゴロベエを睨みすえ、精一杯引き絞った
矢を射る!
「ねぇ、君」
ねっとりとした声音。細面の痩身の青年が化粧を施した面をさげ
てこちらに柔和な笑顔を貼り付けて、どこにあったのか一輪の桔梗
をもって御用車から降りてきた時には驚いた。
若造の癖に。年寄りじみた言葉が頭を過ぎるがそれを丁寧に分厚
い面の皮の下に押し隠して、ついでに鳥肌もたっていたがさもきょ
とんとした風体を装ってそちらを振り向く。
「よいねぇ、君、名前は? 」
「…ナナシ」
「嘘はつかないほうがいいと思うよ」
「…用事で急いでますので失礼しまっ」
後ろから近づいていた気配に咄嗟に言葉を切って屈む。頭のあっ
た位置を手刀が空をきる。振り向き様に足払いをかけたが避けられ
た。腹巻をした男を底冷えする瞳でねめつける。相手が手を出せず
に止まったところを確認しつつ、視線は外さずに青年の方へ唸る様
に呟く。
「……随分と物騒な方法ですね」
「酷いなぁ、僕がそうしろなんて指示してないよ。テッサイ、この
人に謝ってよ」
「……申し訳ない」
それにしてもすごいね、テッサイのこと気付くなんてさ。パチパ
チと手を叩きながら男は素直に感嘆してくる。包みを抱えなおした
シズクは、自分は貴方の元へ行く気など毛の先ほどもありませんか
らと見事に言い捨てて急いで人ごみに紛れる。
気持ちが悪い。なんであんな男か女か分からないような変態に見
初められなければならんのだ。正直言ってあんな若造についていく
位ならその辺で侍称している侍崩れと一緒になったほうがマシだ。
人気が無いのを見計らい、床を蹴ってとんとんと階層を登ってい
った。
「若、あの者は侍です。おやめになったほうがよろしいかと」
「そうだなぁ…家のワーリャ達の護衛も欲しいとこだし、そういう
方向で連れて来てよ」
「……承知」
全くこのボンボンは。人の話を聞いていないにも程がある。これ
なら久蔵のほうがまだ話が分かるというものだ。悟られないように
小さく溜息をつきながら、周囲にいた用心棒達に指示し始めるテッ
サイであった。
彼も侍崩れである。共にアヤマロの下についているヒョーゴやキ
ュウゾウとは下った時期が違うけれど、かつて大戦を潜り抜けてき
た勘は今もかわらぬ鋭さを誇る。その本能が先ほど去っていった人
物は只者ではないと警鐘を鳴らしていた。懐のドスが、共鳴したの
も一因ではあったが。
その視線に男は知れず震えた。頬の傷後が充血しているのか熱い。
あの視線、あの殺気、かつての戦場において感じた事のある存在。
南軍の圧倒的有利の中において撤退しながら三の丸の屋根で敵を斬
り付けていた一人の北軍の将のそれに似ていた。
その将は、功刀嘉親という。その大柄の身体よりも大きな太刀を
振り回し敵を屠る姿は南の軍勢でも有名であった。彼の守る三の丸
はたしか最後まで生き残ったはずだと記憶している。
間をおかず重力と引き絞った弓の反動で加速する三本の矢を、刀
を地に突き刺し片手で全て取る。右頬が掠り、それにエクスタシー
を感じつつもそのまま落下してくるシズクの右手に小柄が見えるの
に即座に反応し、矢を捨て傍らの軍刀を握ると袈裟懸けに切りつけ
る!
落下速度でかなりの力がついた小柄と、袈裟懸けの軌道が真っ向
からぶつかり、小さな火花が散った。観客はそれにおぉ、と声をあ
げる。未だ続くシタールの音は、下層の通路に響き渡り続ける。
顔が近づいた時に見えた面越しの瞳は、笑っていた。
「面白い奴よな」
「貴殿こそ、な! 」
ぎりぎりと鍔迫り合いをしながら言葉を交わし、互いを弾く。そ
の勢いに乗って壁に突き刺さったままだった刀を抜き放つ。次で最
後だ、と決めていた。視線で合図をして二人共刀に振動を与える。
ガチンと鈍い音がして、シズクが借りていた刀が真っ二つに折れた。
そしてゴロベエが刀をシズクの目の前に突き出し、ゲームセット。
客は一瞬の間をおいてやんややんやの大喝采。捻り金がばらばらと
彼らの間に降り注いだ。
「恐れ入ったぞ」
「こちらこそ。貴方が手加減をしてくれなければどうにもならなか
ったはずですし」
仮面越しに笑んでくる顔はさっきまで纏っていた威圧的な空気を
まったく感じさせないものだった。そろそろ帰らないとキヘエさん
に怒られますんで失礼します。お借りした刀の弁償はいつか必ず。
そういってシズクは借りていた面と上着を脱いで人ごみに紛れて
いく。それを止める事はせず、ゴロベエは仲間を誘って遅い昼飯を
食べに出かけていった。
がやがやと賑やかな飯屋では、先ほどの芸事の話が一番の話題ら
しい。あの矢を全部取った男、もとは侍らしいぞ、いやいやあの男
よりも驚嘆すべきは面を被りし相対者ではなかろうか、最後の一合
は凄まじい怒気迫るものがあったな。
そういえばお主、そうやって芸を見ていたならおひねりの一つも
出せるほどには懐も潤ったのか、貴殿こそ口に糊する働き先は見つ
かったのかい、いやいやアンタこそ見つけられるとは思えないなり
じゃないか。やるか貴様この野朗、やめな、ここで侍が争ったらマ
ロ様に目ぇつけられんぜ。
その中でにこにこと話を聞き続けていた男がいる。先ほどの芸を
見ていた野次馬の一人だ。白飯を食べれる事が至上の幸福であるか
のような顔をして噂話が飛び交う中嬉しそうに食事を続けていた。
噂好きの人足がそちらを見やって話しかける。
「あんたはその芸を見たかい、お侍さんよ」
「えぇ、あの剣技はすごかったですねぇ。特にあの矢を三本一時に
放つ様は惚れ惚れとしましたよ。受け取った方も素晴らしい腕の持
ち主と見ましたけれども」
だよなぁ、やっぱいつの時代でも花形は侍ってか。いいねぇ、俺
もあんな風になってみたかったなぁ。顎を撫でさすりながら一人ご
ちている人足に男は恵比須顔を向けて言う。侍なんて戦が終われば
穀潰しですよ。都々逸にもあるでしょう。今更侍になってなんの特
があるって言うんです。
その顔に何かしら哀愁めいたものが漂っていた事を、その人足は
知らない。頼んでいた定食がやっと来たので注意がそちらに向いた
のだ。
飯屋の一角が急ににぎやかになった。見るとそこにはさっきの芸
事の一座が机を囲んで飯を食っている。客達は彼らを囲んでもう一
度やんややんやと賛辞をあびせていた。さっきの人足もそれに気が
ついたのか御飯の器も持って口先に割り箸を噛みながらそちらの方
向へ寄っていく。
「あんた達、さっきの剣技はすごかったよ」
「俺ぁ、感動しちまったぜ」
「いやぁ、それほどでも」
浅黒い肌の持ち主を筆頭に、囲まれ話かけられている一段は飯を
食う事もままならずに野次馬の相手をしている。苦笑を張り付かせ
ながら上手そうな飯が冷えていくのを如何する事もできずに話に相
槌を打っていた。やがてゴロベエが我慢ならんと言う風に汁椀に手
をだす。皆腹が減っていたのだ。
野次馬達の会話はさっきの狐面の宙返りに話題は移っていた。あ
そこで勢いを止める飛び方ってわかるか。そんなもん、侍じゃねぇ
俺にはわかんねぇよ、アンタは知ってるかいお侍。いやいや、某も
あれには正直驚嘆した。
にこにこ笑う男は静かに食事を終え、にこにこと主人に礼を言っ
て飯屋を後にした。今日は薪割をせずとも仕事があったので食うに
困らなくてすんだけれど、明日は何も食べる事が出来ないかもしれ
ない。しかし男はそんな事を気にすることなく雑踏へ姿を消した。
それからすぐだ。押し込みが入ったぞ、と一人が飯屋に飛び込ん
で怒鳴ったのは。野次馬はさっきの話はどこへやら、一目散に飛ん
でいく。その中にはゴロベエの姿もあったという。
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