シチロージは最下層にある花街の廓の一つ、蛍屋の太鼓持ちであっ
た。それはユキノに拾われた五年前からであったが、サムライとして
の勘を駆使してなんとかかんとか廓の仕事をやりすごし、今ではそれ
なりに様になっている。
男の左腕は二の腕から先が義手だ。それは既に十年が過ぎ去った最
後の戦で、己の古旦那と共に斬艦刀で突っ込んでいった後に失った大
切なものだった。
気がつけば冬眠装置の中で五年を過ごしてしまっていた。目覚めた
当初、その事実を受け入れられずに呆然と日々を過ごした事は記憶に
も新しい。慣れぬ義手、失った“六花”、様変わりした今の世界。
それでも最初に気になったのは、カンベエとシズク、そして彼女の
父の安否である。カンベエとは突っ込んだ天守閣で戦っている時に己
の上に二の丸が落ちてきて以来、シズクにいたってはあの時三の丸を
離れてそのままだ。
狭いこの虹雅渓のなかで、廓にやってくる人々に噂などを聞いて回
っていたが、問われた客や人は大抵が“生き残っているはずがないだ
ろう。北軍だろぅが南軍だろうが、終戦直後は落ち武者狩りが各地で
酷かったと聞いたぞ”と返して来たものだ。
それでも始めは諦めなかった。もしかしたら、と何度も違う客が来
る度に、捜し人をしているのだが、これこれこのような人物をみかけ
たことはないか、と聞いた。周囲にめげないねぇ、と笑われても変に
目立たぬ様にして上階層まで聞いて回ったのだ。しかし、何度も呆れ
られ笑われているうちに、次第に諦めが付くようになった。
サムライももう中仕切りの頃なのだと悟り始めている自分に嘲笑し
ながら男は今日もアキンド音頭を歌っている。
見る!
今から四年ほど前の事だろうか、ユキノは下男と一緒に買いつけに出
ていた。一年ほど前に桃からならぬ脱出装置から出てきたシチロージと
名乗る男を拾って以来、そのシチロージの看病や世話、太鼓持ちとして
の稽古をつけていたので、なかなか自分で仕込みに必要な材料の見定め
に同行していなかった。だから故か、今日のユキノの心内はウキウキで
ある。
シチロージ。彼が目覚めた時の憔悴の程は見ていられぬ程だった。左
手が義手に変わっているのに気付いた時等、二刻程呆然と庭を見つめて
いた。戦争が終わってはや五年が経つと聞いて最初は信じようとしなか
った。二言目には今の戦況はどうなんだ、南軍は、北軍はどうなったと
言うのだ。
何度も戦は終わった、今はアキンドの天下なのだといい含めた。そし
てとうとう虹雅渓の有様を見せた時、彼は全てがバキバキに折られたよ
うな顔をして道端に崩れ落ちた。
慌てて駆け寄ってみればその顔は嗤っていた。全てに絶望してしまっ
たかのような顔で、笑っていたのである。可哀想に、とは思わなかった。
しかしこれで彼が少しでも新しい生を生きてくれたら、と願わずにはい
られなかった。
最下層はあまり治安がよろしくない。だが此処の地理を知り尽くした
ものにはさして危ない所には思えない。慣れた場所というのには恐れな
ど抱かないものだ。歩く方々で顔見知りにからかわれる。また何か“拾
った”そうだなユキノ、と。
それに笑顔で答え、のらりくらりと質問攻めをはぐらかしながらどん
どん食材を買い付けていく。この尾頭付きは鮮度が悪いから駄目、あの
菜っ葉は今が旬だから沢山仕入れよう、これは何の肉かしら、あら鴨で
すって面白いわねこれも使いましょうか。
ユキノは料理をしたことは数えるほどだが、その腕は確かなものだ。
そして食材を見極めるのにも長けていたし、花魁太夫として生きてきた
感覚のおかげで今、料亭蛍では才能豊かな芸妓やユキノの噂を聞いてや
ってきた腕のいい板前達が勢ぞろいしている。
「女将、そろそろ戻らないと夜見世がはじまりやす」
「もう少し見たかったんだけど、コレばっかりはしょうがないやねぇ。
じゃぁこれら皆料亭蛍まで届けてくださいます? 」
「“拾い屋”ユキノの頼みとあっちゃぁ、しかたねぇ。これからもご贔
屓に頼むぜ」
「あい」
下男に急かされて急ぎ道を戻っていると、ざわざわと人だかりが出来
ている。こういう時に限って帰り道にそういうものがあったりしてユキ
ノは悔しくなる意外と野次馬根性が彼女のうちにはあるのだ。とても残
念そうに人と人の間をすり抜けようとしたその時だ。
人だかりの中心らしき人物がふらふらと彼女の前に現れたのである。
見ればそれは、人か獣かすら判別がつけがたい程にボロボロの服を纏っ
た“もの”だった。刀らしいものを杖に、周囲のことなど全く気にせず
に前へ前へと進んでいる。
その虚ろな瞳と目があって、ユキノは思わず道を開けた。あぁ、シチ
ロージもこうなっていたのだろうな。そういった思いが脳裏を掠めたの
である。
その姿が見えなくなるまで、下男にいくら急かされようとそこを動か
ずにただ見送ったユキノであった。
さて話を戻そう。
七階層の地に降り立って暫く彷徨った。どこの木賃宿なのか詳しい事
を聞き忘れたためにかなり時間を食っている。いくつもいくつも尋ね周
り、やっとみつけた五○五号室。中に入ると見慣れた姿があった。
「遅かったなシズク」
「…キヘエさん」
「何処で道草食ってんのかと思ってヒヤヒヤしたよ」
彼の側には旅商人の担ぐ木箱が。そして着替えも置いてある。そして
ゴロベエから借りっ放しだった三味線もキヘエの左手にあった。それら
を見て一瞬で理解する。キヘエと連絡を取っていたのはキュウゾウで、
ここでシズクが彼と落ち合う手筈であったのだ。
あのキュウゾウがこんなに気を使う人であったのか、と暫し考え込ん
でしまったがキヘエの台詞に吾に返る。
「それで、ちゃんと追手は巻いてきたんだろうな」
「あ」
「……お前さん本当に大丈夫かい。心配になってきたよ」
「否、すんませんキヘエさん。アンタにまで累が及ばないといいんだけ
ど」
心配面を一丁前にしてみせるシズクに、キヘエは豪快に笑った。お前
さんに心配されるとなっちゃあこの俺も御仕舞いってものさ。
とりあえず、その無駄に綺麗な衣装を脱ぎな。目立っちまっていけね
ぇやと代官様ごっこよろしくくるくると剥いで行く。え、ちょっと一応
私女子なんですけどぉぉ、という言葉を、何言ってんだ男勝りな上にま
な板みたいな胸しやがってと笑い飛ばされ、あっというまに襦袢一つに
なる。
さりげない毒に少し落ち込みながら、渋々旅商人の衣装を着付けてい
くシズク。それは無駄の無いテキパキした動きであった。最後に木箱を
手に、キヘエはいろいろ説明する。
「ここに刀を隠せるようにしてもらっといたから、安心して行きな。本
当に商人ぽく見せるよう一応品物も入れといたから大丈夫だ」
「重ね重ね本当に申し訳ない」
「謝るな。俺の酔狂だと思えばいい。さ、もう行け」
道は昇降列車沿いに下りていけばいいだろう。それくらいはサムライ
なんだからできるよな。後は商人なんだから大人しく正面玄関から出て
行けよ。俺はそろそろ店に戻るからな。ついでにマサムネのところには
行くなと釘を刺された。
出て行ったキヘエには感謝をしてもしてもあまりある。頭を深く垂れ、
シズクは歩き出した。向う先は昇降列車のあるという廃線された線路。
しかし、そこにある列車が最下層付近まで落下したという事件を、彼女
はまだ知らない。
キクチヨが列車と共に落ちていったのは昨日の晩の事だ。あの思いも
よらなかった男の活躍から、この辺でのほとぼりが冷めるまで身を隠し
ていた一行だったが、見張りを交代したヘイハチはその耳に思わぬこと
を聞いた。
「おい聞いたか、侍狩りに一般市民が捕まったらしいぜ」
「あぁ、キヘエとかいったか。あそこの飯、美味かったのになぁ。でも
よ、最近あの店の看板娘の姿、見なかったよな」
「それがよ、マロ様んとこ…おい」
噂をしていた男達は急に黙って仕事を始める。続きを聞こうとバラッ
クから表にでかけたヘイハチは慌てて身を隠す。向こうから現れたのは
カムロだ。お喋りしていた人足が急に静かになったのを不審に思ったの
かカムロは人足達に話しかけている。
聞き耳を立てると。
――おい、このあたりに髪の長い三つ編みした女のサムライが来なかっ
たか
――俺達そんなの見てないっすよ。女のサムライなんて今日び見たこと
もねぇ。なぁ?
――あぁ、一回見たことはあるけんど、そりゃ四年くらい前だったしなぁ
もういい、と頭を振りながらカムロ達は行ってしまったのを見てから
小屋の中を見やる。見つかったか、とカンベエが微かに刀を握ったのを
見て急いでとめる。違いますよ、ちょっと小耳に変わった話を挟んだの
で。
「――話? 」
「今そこでカムロ達が話していたんですけどね、探し物は我々じゃなく
て三つ編みの女のサムライだそうですよ」
「シズクのことではないか……上手い事逃げ出せたようだな」
ゴロベエの顔に安堵の表情が浮かぶ。それと、キヘエさんが捕まった
みたいです。ヘイハチは少し曇った笑顔で付け足した。無事だといいで
すけど。それに言葉を放ったのはカンベエだ。
「見た限り彼の御仁ももとは侍だろう…活路は見出すはずだ」
「ですが随分とお年を召してましたけど」
「迷わねばなんとでもなる」
さて、夜にはここを出るぞ。いい加減ここもバレるだろうしな。カン
ベエの言葉に皆頷いた。一人元気がない。キララの妹、コマチである。
キクチヨにとても懐いていた為に彼が居なくなってしまってからという
もの、驚くほど沈み込んだままであった。
先ほど詰問されかかった人足の一人が、丁度通りかかった男によぉ、
と手をあげた。挙げられた側もこちらを知っているようでにこにこと笑
みを浮かべながら寄って来る。
「今日はどうしたんだぃ、お大尽様がいらっしゃるんじゃないのかい」
「だから食材が足りなくなるかもしれないってんで急ぎの使いよ。在り
合わせのものでは申し訳がたたないしなぁ」
「おめぇさんも大変だな」
「全くだぜ…と、さっきそこの八百屋の親父から聞いたんだが、昇降列
車がおっこってきたんだって? 」
「あぁ、あんなオンボロを上層階に放置してっからいい加減ガタがきて
落ちちまったらしいぜ。今日はそれの引き上げ作業に狩り出されてんだ」
「大変だなぁ…っとと、こうしちゃいられねぇ。じゃあな」
「おう」
人足達と別れた蛍屋の下男は、急いで人を掻き分けて進む。下の水道
を使えるといいのだがアレの流れに乗ってしまうと式杜人の場所に出て
しまうのでここは歩いていくしかない。水の流れに逆らって舟を操るの
はどうにも彼は苦手だったのだ。
「そこでなにをやっている! 」
うわ、しまった。と思ったときにはもう遅い。カムロ二人に詰問され
るかと思って軽く首を竦める。いやなに、廃線になった列車が落ちてき
たってここいらじゃ大騒ぎでしてね。私もこれから他所へ行く身、土産
話になるかと思って見に来た次第で。
適当に口から出た言葉は本当に適当で、こんなのではバレるんじゃな
いかとヒヤヒヤした。予想外にその適当さが真実味を帯びていたようで
見世物じゃないんだぞ、と小言を幾つか貰っただけで解放してもらえた
のは奇跡に近い。
(…昔っから悪運だけは強いからなぁ…)
じっと手をみる。指先からあの香水風呂の匂いがしてきそうでごしご
しと手を擦り合わせた。あんなものが身体に付いていたら忍んでいても
すぐにバレてしまう。どこかで普通の風呂に入りたいものだ。
と。
「スリだ! 誰か財布を取り返しておくんなさい! 」
男の怒鳴り声と共にこちらへ走ってくるいかにも怪しげな男が一人。
その焦っている様子にこいつだな、と勘を働かせたシズクはちょいと足
をかけてやる。見事にすっ転んだ男を取り押さえてやった。
後から追いかけてきた男は、やれありがとうございます、おかげで女
将にいらぬ心配をかけさせずに済みそうでげすよ、と言った。その男の
口調に廓の者だと感づいて、シズクは去ろうとする男の袖を引っつかむ。
「旦那、花街でお働きで」
「えぇそうですが…何か」
「実は私、旅の商人なんですけどどうにも此処は華やかで物が売れなく
って…いえね、女の方の飾りを売っているんですけど」
言葉を幾ばくも言わぬうちにあぁ、と男はやや眉を上げて言った。な
らうちにおいでなさいな。女将が新しい芸妓の飾りが欲しいって言って
ましたから。
優しい言葉に思わず感激して、シズクはそのまま買い物の荷物持ち、
手伝いましょうと告げる。遠慮しまくる男にいやいや、またスリに遭わ
れるのもお嫌でしょ、その護衛みたいなもんですと適当に誤魔化して男
の肩を押して行ってしまった。
その日、シズクはまんまと男の後をついて廓に入り、料亭蛍屋の裏土
間に上がりこんだのである。ここなら身を隠すのにも楽だし、ウキョウ
とてこんなところまで来はしないだろうと思っていたのである。
人のいい蛍屋の下男は弥助と言った。忙しいらしく、次々と料理が運
ばれていく。遅れて帰った事に身体を小さくしながら弥助が奥へ入って
いった。
「おや弥助、おそかったじゃねぇか」
「あいすみません、今わっちの仕事やってきますんで」
「いやいや、それはいいから買い物終わったんなら膳の準備をしてくん
な」
「あい」
まさに戦場のような忙しさで行きかう女達の間を縫って、弥助は調理
場へ消えていった。
皆忙しいのだからここで茶を貰ったら適当に野宿するか、と考えつつ、
なんとなく手持ち無沙汰であったのでゴロベエから借りっぱなしの三味
線を弾きながら、即興で都々逸を弾く。
「浮名立ちゃ、それも困るが世間の人に、それでも探す、彼のお人」
「誰かお探しなのかい」
顔を出したのはユキノである。蛍屋の女将だ。忙しいはずなのにここ
に来るということは、弥助から何か聞いたのだろうか。いやいや忙しい
のにそんな馬鹿なことはあるまい。シズクは軽く頭を下げてこれはお恥
ずかしいところを、と呟いた。その様子にふと微笑んだユキノがシズク
の側に座りながらねぇ商人さん、と言った。
「何でしょう」
「桃太郎は、暫くお爺さんお婆さんの家で生活して、どうするのかしら
ね」
「そりゃ…鬼を退治しに出かけて、沢山宝物を持って帰って来るのが筋
ってものです…急にまたどうして」
「いえね、なんとなく聞きたくなったのよ。気にしないで…それより何
か見せてくれる? 」
「女将はお忙しいのでは」
「ちょっとくらい休憩したって誰も怒りゃしないさ」
はいよ、と傍らに置いた木箱を開けようと手甲を脱いだ。ユキノの目
に飛び込んでくる六花弁の華。あ、と口に手を当てた時にはもうその声
はシズクの耳に飛び込んでいた。
「…この模様に見覚えがおありで? 」
咄嗟に軽い殺気を放って様子を伺ったがこの女将、どうやらどこかの
手先ではないらしい。安心してにこにこと笑いながら抽斗から小さな簪
を取り出し見せる。幾つかならんだ中に、銀の瓢箪の飾りが付いたもの
があった。ユキノは躊躇わずにそれを選ぶ。
「女将、お目が高い。きっとこれをつけた日にゃ、いいことが起きます
よ。瓢箪から駒っていうじゃありませんか」
「それは何かチャンスがあるってこと? 」
「そうかもしれませんねぇ…」
そういったシズクの目はどこか遠くを見ているようだった。まるで、
何かを懐かしむというような。恋焦がれるというような。この人も何か
心に引っかかるものを持っているのだな、とユキノは考える。
「今日も遅いし、ここに泊まっていらっしゃい」
「いやしかし、私路銀もございませんので」
「女の人の野宿は危険がいっぱいなのよ」
片目を瞑って見せて、出てきたお膳を持ちながらシズクににっこり笑
いかけながら彼女の手を引いて空いてる部屋が狭いところしかないけれ
ど、といいながら一つの部屋に連れて行った。
「こんな…しがない旅の者の世話をしてもらうなんて申し訳ない、さっ
きの簪のお代、只にさせていただきやすので」
「いいのよ。ここでは身分も何も関係ないのだから」
「いやいやそんなことはできません。自分はケチな商人ですけど、それ
くらいの常識は弁えてますよ」
遠慮するユキノにとうとう代金を返してしまった。これで商品以外は
文無しである。キヘエに貰った金は木箱の中に入れたままで存在を忘れ
てしまっていたのだ。
ユキノがお膳を持って去った後、四畳も無いくらいの部屋を見回して
ふぅと溜息をついた。何だか明け方からずっと動きまわっている気がす
る。いろんな人にあったなぁ…特に弥助とであったのは幸運としか言い
ようがないだろう。
(これだけいいことが続いたんだ、絶対何か起こるね)
そこんとこは信じて疑わないシズクである。何が起きても対処出来る
ように手甲も脚絆も其の侭に、部屋の隅に畳んであった布団に身を隠す
ようにして眠りについた。
彼女は知らない。障子を隔てたすぐ外の廊下を三つ髷の男が膳を持っ
て通りすぎた事を。そして今晩中に現れる一行の事を。
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