リタは今日も今日とて暇を持て余しつつ、女神や神官たちの警護をしが
てら麓にいる聖闘士達の稽古や己の鍛錬をこなし、一日を終えるはずだっ
た。
喪失感―いや、独りよがりの寂しさともとっくの昔にシャカの肩で泣い
て、ミロと共に海に送ってオサラバしたのだ。元通りとは言いにくいが、
とりあえず彼女は凹む事はやめた。
時へ還るのが役割なんだったら、奴等の分まで、時を横臥しようじゃな
いか。それが彼女が見つけた言い分だ。
海底神殿より女神が帰還して以来、短い平穏を貪っていた聖域。女神が
帰還したことでいくらか聖闘士や他の兵達も安堵をしたのか、夜の警備の
途中でうつらうつらとしているようだ。
その中に突如現れた六つの小宇宙。見知った小宇宙ばかりの、その一団。
知っているどころではない。リタがこの聖域に来てからずっと共にいた、
その小宇宙。そして、その場にいる事がありえない、その一団。
なぜなら、彼等は既に死してこの世から肉体が消えうせているはずなの
だから。
JIーHAD 01
「!!? 」
頂上の教皇宮で己の堂室にいたリタはピクリと眉を動かし、心の内の動
揺を隠し切れずに室内を見渡し、やがて其れ等が出現した場所の方向の壁
を見つめた。
信じられない、まさか。
先ほどまで教皇の間に詰めていたのだが、そろそろ皆も終業時間を迎え
てそれぞれの堂室に戻っているころあいであり、彼女も今やっと帰って来
たばかりである。
教皇の間にいる時くらいは着用せよと神官達に口うるさく言われて渋々
ながら着ていた助祭の衣装を握り締め、机の前に座したまま俯く。ヒラヒ
ラして、頼りない其れは常にジーンズなどのラフな格好でデスクワークを
こなす事を好むリタとしては着心地が悪い。その気持ち悪さが便乗して、
頭の中が酷く混乱した。
信じたくない、信じられない。
何故、彼等が再びこの大地を歩み小宇宙を燃焼させることができるのだ。
そしてあの小宇宙の聖闘士らしからぬ禍々しさ。一体何があったというの
だろう。
どこからか吹き込んだ微かな風が、室内を照らし出す蝋燭の火を大きく
揺らす。
「……一体、何が……」
ポツリと言葉を零すと彼女は椅子から立ち上がる。苛々と室内を歩いて
周り、そして不意にアテナ神殿に入り込んだ小宇宙に気付いた。
リタはたまらず隣室に駆け込む。半ば引きちぎるようにして助祭の服を
剥ぎ取り、聖衣を纏い仮面を着ける。自室を出て女官達の宿舎に走ると、
戸を軽くノックした。
「はい」
「私だ、長はいるか」
一度、女官が引っ込むと程なくして皺だらけの、どこが顔なのかすら判
別つかぬ長が顔を出す。
「…リタ様。何用で? 」
「うん。怪しい小宇宙が聖域に入り込んだ。終わるまで此処で静かにして
いてくれ」
白髪の混じった彼女は少し青ざめた顔で此方を見返してきたが、やがて
頷いた。背後にいた女官達も恐怖で目を見開いているが、それでも微かに
従うとの意を示し奥へと消える。
「この建物は地下シェルターのようなモンがあったな? じゃ、頼んだぜ」
「リタ様もくれぐれもお気をつけて」
「ありがとう」
その脚で教皇宮に踏み込んだ。これ以上侵入者を放っては置けない。こ
の聖域を理由なく侵す者は排除するまで、だ。教皇の座る玉座の間へ消え
ようとする豪奢な金髪が揺れる背中に声を掛けた。
「何処のどいつだ、アテナの元に入り込んだ不届き者は」
「……リタか」
「!」
サガの双子の弟にして、かつてアテナに仇なした男はゆっくりと振り向
いて苦笑する。肩を竦めながら両手を挙げて降参だと言う。リタはカノン
に近づきお前ならば態々駆けつけなくてもよかった、と文句を垂れながら
並んで教皇宮の廊下で対峙する。
「…随分と剣呑だな」
「先ほどこの世に居る筈の無い小宇宙が出現した。アンタも判ってんだろ
カノン」
「あぁ」
「今アテナの元に行ったら確実に生き残った黄金の誰かが登ってくるぞ」
「構わんさ。彼女に用事がある」
「ハッ…。双子座としてもう一度、か? 」
仮面の下の面は見えぬが、笑っているのがありありと分かる。玉座の間
の扉を開けて、中に入りながらカノンは憮然として答えた。
「そうだ」
「ならアテナに伝えてくれよ。緊急次第につき、貴女様の御指示を頂きた
く、ってさ」
女聖闘士はそう言ってずかずかと赤い絨毯の敷かれた玉座への道を進ん
でいって、奥に鎮座してある玉座に座る。酷く面倒くさそうにふんぞり返
りながら脚を組んだのを見て、呆れた。
「おい、」
「誰も座ってないんでなぁ、暖めるには丁度いいんじゃねぇの。ホレ、さ
っさと行った行った」
シッシッとばかりに手を振られて、俺は犬か、と心の底で一瞬突っ込み
かけたが、本来の目的を思い出して男はアテナのもとへ向かった。玉座か
ら見ての手前左側の垂れ幕が揺れ、男の姿が消えていく。
残った女は、さっきとは打って変って頬杖をついて考える。頭の中の会
議場でのお題は先ほどとさして変わり栄えがしなかった。
ムウが彼等を通さずに戦っているということは、彼等はこの聖域の主に
仇なそうとしている証拠だ。このまま彼等が突破してこれば、戦いは避け
られない。女神の命は守らなければならない。我等人間が暮らす大地を女
神の伯父であるハデスから守るために。
たとえそれがかつて共に暮らした仲間であろうとも。
と、一つか弱い小宇宙がポッと現れるのを感じた。――星矢? 莫迦な、
そんなはずはない。彼等は現在この聖域には立入禁止のはずだ。彼等青銅
が黄金であった者達に適うわけが、ない。
デスマスクの嘲笑うような小宇宙。てめぇ、全く変わってないなその気
配。が、その瞬間にペガサスの小宇宙が消えた。消した主は。
――ムウ、殺したのか。
否、送ったなこれは。はるか遠いところに小さな小宇宙が移った。それ
よりも問題は。彼等の目的である、女神やひいてはこの聖域に仇なしてい
る理由。
「――ったく、どいつもこいつも」
何も言わずに消えては、何も言わずに現れる。莫迦じゃねーのか。言わ
なきゃ伝わらん事とてあるだろうが。あぁ、頭を使うのはアイツの専売特
許だったのになぁ。
いつもいつも、血生臭く穢れた事を私に知られぬ事なく闇に持ち込んで
は消していた。ふざけるな、私とてお前達の仲間だったんじゃなかったの
か。何度彼らに対して怒りをぶつけたことか。
苛々と爪を噛みながら戦いの行方を見定める。
――違和感。
デスとディーテの奴、何故あんなに弱いような演技をしている。ムウの
技一発くらいで死ぬようなタマである訳が無い。いくらこの聖域に女神の
結界が十重二十重に巡らされていようと、彼等は黄金の名を欲しいままに
していた者達だ。力が半減以下だとしても、十分に渡り合えるはず。
「――リタ? 」
不意に掛かった声で我に返る。女神の大きな瞳が此方を見ていた。
「――あ、あぁ。アテナ、お目覚めですか」
「ええ。私は少し様子を見てきます」
「いけませんよ、今石段を降りれば彼等の餌食になることは火を見るより
明らかです」
「石段を降りはしないわ。小宇宙で見るだけよ」
「双児宮にかつてサガが張ったような迷路を敷いた。シャカが万が一に備
えて巨蟹宮に幻影を掛けるそうだ」
それ以前に、ムウかアルデバランが止めるかもしれんがな。そう言いつ
つ女神の背後から覗き込んだ、サガと瓜二つの顔。それに頷いてリタは玉
座から立ち上がる。女神はニコリと笑んで、教皇の間から出ようと足をむ
けた。
「なら、心配は無いか――!! 」
「?!! 」
禍々しき小宇宙の塊が三つ、白羊宮を抜けて金牛宮すらも通り抜けたの
である。アルデバランはどうしたのか。あの剛力ではだれにも追従を許さ
ぬ、牡牛座が。それをものともせずに玉座の間の扉を開こうとしていた女
神へ二人は叫ぶ。
「アテナ、やはり出てはなりません!」
「我々が必ず彼等を阻止して見せます故、どうか此処をお動きになられま
せんよう! 」
不満顔の彼女を寝所に押し込んで、カノンとリタは小声で話す。
「奴等が双児宮に来た。リタ、アテナを頼む」
「あぁ。――その前に此処にミロが来る。アンタはどうするんだ」
「今は奴等を引き止めておく事が先決だ」
カノンはそう言うが早いか、玉座の間の中心で目を閉じて瞑想し始めた。
邪魔は不要と見て南十字星は隣室へ繋がる垂れ幕を捲る。果たして其処に
はアテナの前に跪くミロの姿。
いつも思うのだが、彼女の寝所にまで入れるというのは少々無礼なので
はなかろうか。仮にも女性の、しかも己等がお使えする女神の寝所なのだ
から、もう少し遠慮というものをここの聖闘士達にはしてもらいたいもの
である。
「先程この御寝所へ何者かが入り込んだような小宇宙を感じ、急ぎ参じた
のですが……」
「ミロ、早いな…ってか、御寝所まで入れるというのはどうなんだ、此処
のシステムはよ」
「リタ! …実は俺も不思議だったんだが、今はそれどころではないだろ
う。なにしろ今はハーデスの先鋒が押し寄せている最中。お気をつけにな
りませんと」
途中から女神のほうを向いて語るミロ。女神はにこりと笑いかけて、カ
ノンの事を話す。リタは其れを適当に聞き流しつつ、サガ達の小宇宙が動
くのを感じ取ろうとする。三人はまだ双児宮から動いていない。
――否、サガは動いていないが、他の二人は走っている。おそらくカノ
ンが作り出した迷路を彷徨っているのだろう、ご苦労な事だ。
と。
凄まじいまでの衝撃がリタ達のいる神殿に響き渡った。
「!! 」
「何だ、今のは!落雷でも起きたのか?! 」
「…行ってみりゃわかるさ」
ミロはその言葉に不振さを抱きつつも、垂れ幕を捲って隣室の玉座の間
へ飛び込んだ。猩猩緋の絨毯が無残にも引き裂かれ、その下の石造りの床
にも大きな穴が開いている。やはり、双児宮からの攻撃的小宇宙か。遥か
に離れているあの宮からその様な攻撃を出来るのは、あの男しか考えられ
ない――双子座の、サガ。
―――――信じたくは、無かった―――――
あーぁー、アレ高ぇのになぁとリタのブツブツ言っているのが聞こえて、
男は呆れた。
「お前、気を抜きすぎているぞ!! 」
「カノンがあいつ等を引き止められると思っていたからなぁ。……サガの
奴、この絨毯の賠償はキッチリしてもらわないとなぁ」
暗い笑みを含んだ小宇宙がリタを過ぎったのを、蠍座はしっかりと見て
いた。――やはり、この女は侮れない。ミロに畏怖を感じさせた女は、隅
で倒れ付して呻いていたカノンに声を掛ける。
「大丈夫か、カノン」
「う……ガハッ、カハッ」
「相当喰らったみたいだな。直撃か? 」
「―――あぁ」
キラリ、とミロの瞳が厳しく光る。リタに目配せをした。――リタ。彼
女も気付いたように、軽く頷いてカノンから数歩離れる。
その後、去れ去らぬの問答を経て、凄まじいまでの免罪の儀式が始まっ
た。壮絶な痛みに呻き声を上げるカノン。厳しい表情を崩さないミロ。
垂れ幕越しに聞こえる声の只ならぬ剣幕に室内を覘き、驚いて止めよう
とした女神を制するリタ。血が噴出し、崩れ落ちる男にミロはあくまで残
酷な姿勢で最後の決定打を打ち込もうと構える。
そして。
トンッ
「アテナ! 冥闘士の小宇宙がひしひしと近づいてくるのを感じますので、
私は天蠍宮に戻ります」
ひとまず失礼!
そういって蠍座はマントを翻して神殿を出て行く。カノンを、聖闘士と
認める言葉を残して。
「………お疲れ」
カノンは蠍座の言葉に涙していた。女神も目に涙を浮かべてカノンを見
つめる。立てるか、とカノンに肩を貸す彼女に向かってアテナは呟く。
「貴女はいつも冷静ね」
「いいえ。ミロの度を越しすぎた攻撃を危うく奴を止める所でしたよ」
苦笑して答える女。カノンがもう大丈夫だすまん。と言って離れる。二
人に女神は告げた。シン、と静まり返った堂室内に響き渡る。
「アテナ神殿で彼等を待ちましょう――ムウから伝言が来ました。彼等に
は、何ぞ思惑がある、と」
「―! しかし、アテナ」
「リタ。此処で待とう。シャカが止めて訳を聞くぐらいの事はするだろう
からな」
「――分かった」
渋々頷くリタ。三人は玉座の向こう側へと消えた。
わぁお読みにくい!
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