またまた注意ですんません。ここからちょこっとだけグロいかもしれないので、
もし嫌な方はバックプリーズ。
JIH-AD 03
その一瞬、己が感覚を疑った。何故、一体どうして。まさかそんなはずでは。
リタが呆然と頂上を見遣った瞬間に生じた隙に乗じて冥界からの戦士達は彼
女を倒すべくそれぞれの技を繰り出す。縦横無尽に繰り出された最強の技の数
々が彼女に襲い掛かる。避けることも出来ずにもろに喰らった。
技が命中して初めて我に返り、衝撃を和らげる為に自ら吹っ飛びながら体勢
を立て直した。口の中が錆びた鉄の味がする。どこか切ったみたいだが、仮面
が割れただけですんだなんて奇跡に近い。
おぉ、ラッキー。
どんな状況でも楽しめるのがこの女だ。某蟹あたりから感染したのだと山羊
座や魚座なら言うだろうが、あいにくここに彼等はいない。既にこの世にすら
いない。ほんの少し前に奴等は彼女を一人おいて逝ってしまったのだから。
また変な事を思い出してしまった、と軽く舌打ちする。いらんことを考える
から目の前のものが見えないんだ。己は今、この時を楽しんで生きなければな
らない。それが自分の使命。
冥闘士達の攻撃の第二波が押し寄せるが、右手に溜めた小宇宙で適度な距離
に吹っ飛ばす。彼女より大きい体格の闘士達が飛ばされる様はある意味滑稽と
いえる。
「悪いけど、アンタ方の相手してやる時間が無くなった。さっさと消えてもら
う」
仮面が割れて顕わになった素顔の一部、不気味に光る灰色の瞳。スッと目を
細めて彼女は笑んだ。そのただならぬ様子に冥闘士達がジリ、と退ろうとする。
だが、後ろに下げたはずの脚が動かない。気がつけば腕も、頭も、胴体も。
彼等は、一人ずつ見えない箱のようなモノの中にいたのだ。そして冥界から
現れた戦士達は、これから起こる凄まじい惨劇を知らない。
「さて、辞世の言葉は無いかな、諸君? 」
ま、スペクターは意味通り幽霊になって貰いますかね。リタは笑みを絶やさ
ずに呟くと片手をスッと目線の高さまで上げる。ひろげた手が僅かに拳を握る
形を象る。同時に、見えない箱のようなものが僅かに軋んだ。
恐ろしくなる程静かな間があり、それから女が小さく言葉を吐いた。
「残酷なる祝福」
ギィィ。まるで本物の棺桶の蓋が閉まるような音。続いて見ることあたわぬ
棺が軋み歪む音が盛大に響く。女の手が更に拳を握ろうとする。手と言葉と同
時に箱は収縮する。中の冥闘士達はどんどん体が変形していく。
ボグン。何かが折れる音。刺さる音。千切れる音。割れる音、呻き声、破裂
音、弾ける音。 意識があるままだからさらに性質が悪い。痛みを感じるはず
なのに、節々が悲鳴を上げているのに、その体がどんどんありえない方向へ押
しつぶされていく。
「あ゛、ア゛ァ゛、ガッ」
「痛いか? 哀れなこったな。その棺桶は見えないし触りようも無い。逃げる
術は皆無だ」
言っている間にも彼等の身体は捩れ、縮み、ありえない方向に体が曲がる。
口であったはずの場所から吐き出される何か。涎、涙、鼻水、汗、それ以外の
もの。下手をすれば脳なんてこともあるかもしれない。
やがて透明の箱いっぱいに埋め尽くされた赤。いや、茶色味を帯びた錆びた
鉄のような色の水。白くうかんでいるのは眼球だろうか。おぞましい光景のは
ずだ。だが彼女はいたって飄々と見つめる。見つめなれたとでもいうかのよう
に。彼女の瞳は恍惚としていた。久しぶりに出した技の残酷さに、快感を得て
いたのだ。
ブシュッ。何かが吹き出る音。それが女の意識を苛立たせる。汚ねぇもん出す
んじゃねぇや。どんどん小さくなる、小さくなる。中にいたはずの者たちはも
う既に原型が、ない。声も止み、風が吹く音が殊更大きく聞こえ、そしてあの
痛々しい音が続く。
最後には三センチ四方の箱になったそれを一瞥して、彼女は呟く。
「消滅」
ザァッという音と共に数個あった箱が砂塵と化して空気と混じる。その様を
感情の宿らぬ瞳で見ていた彼女は、誰へともなしに呟く。
「彼等は肉体も、魂すらも残らない。冥界に帰る事あたわず世に混じっていく。
なんとも」
なんとも残酷な技です。そう言いながら女は徐に後ろを振り向く。はたして
三人の冥闘士がそこにいた。真ん中の一人は白い布に包まれたものを抱えてい
て、彼女から見て右側に赤毛が、反対側にはあれほど会いたいと切に願った男。
南十字を背負う彼女は不適に笑む。彼女のその技を初めて目の当たりにした
三人。目を見開いて此方を凝視していたが、真ん中の一人が問う。
『……我々へその技を掛けるつもりか』
「いかにも」
ワザワザ作ったとしか思えない不敵な笑顔を顔に貼り付けて女は返す。途端、
三人は透明の棺桶に閉じ込められる。アンタ達に女神への拝謁を許した私がバ
カだった。女神をそこへ置いて逝け。彼女の口がそう言ったのを、三人は確か
に見た。そして彼女の右腕が再びゆるぅりと上げられて。
「残酷なる祝福」
破滅へのカウントダウン。山の斜面を石が転がり落ちるような。あれだけ親
しい間柄であったのに、無情にも彼等の棺桶は、どんどん収縮していく。彼女
の手は、冷徹なまでにジワジワと拳を握ろうとしてゆく。
ぎ、ぎ、ぎ。
「……」
彼女は彼等を見つめる。唯一口の利ける男は、無表情に女を見つめる。一瞬
視線が交錯し、絡まりあう。言葉にならない言葉が飛び交い、胸に渦巻く想い
を瞳に託して睨み合う。その間にも少しずつではあるが棺は小さくなっていく。
軋む音。三人は立っていられなくなり、膝を突く。それでもあの男は顔を上げ、
女から見えぬはずの目を逸らさない。
お願いだ、そんな眼で見ないでくれ。リタの胸中は複雑な思いで嵐を起こす。
ほどなく女は絶望したような、今にも叫びだしそうな顔をして唐突にその絶望
の棺桶の拘束を解いた。
『な……』
「嘘だよ。もう、誰の死ぬところも見たくない。いけよ」
何が何だか分からないというように三人は女を見る。女は苦笑した。そして
聖闘士の通例の礼をしながら三人に向かって言葉を紡ぎ出す。軽く頭を垂れ、
左足を後ろに下げ、右手を心臓のある場所へ。これが彼等の、最敬礼。
四人の間を、生温い風が吹き抜けてゆく。今は春。なのにこのオドロオドロ
しい風。なぜ我々だけがこんな悲しい戦いをしなければならないのだろう。な
ぜ、愛しい者を敵と見なして闘わねばならないのだろう。彼女から流れ出る小
宇宙は、そう語るように悲しい色を持っていた。
女は割れていた面をはずす。
「目的を果たせ。仮面が無いこの面が餞だ。…どうか我々を忘れるな」
『――すまない』
頭を下げてリタが言った言葉に、サガは悲しみのこもる声音で呟いた。そし
て駆け出す音。その音をリタはじっと聞いていた。音が遠くなり、ゆるゆると
顔を上げながら女は微かにしか聞こえぬ声音で、もう目の前には誰もいないは
ずなのに問う。
「何故行かない……シュラ」
「リタ……」
焦点の合わぬ、それでも言いたい事を雄弁に語るその目で此方を直視する男
に、灰色の瞳は相対するように強いまなざしで睨みつけ、呟いた。
「……恨むぞ、莫迦野郎」
「すまない」
女の横をすり抜け様に、唇に掠る様にして触れた山羊座のそれ。女は目を見
開き、男の姿を視線で追って振り返る。男は彼女を振り返らずに石段を駆け下
りて行く。唇の体温。あの男のそれはあんなに暖かだっただろうか。
あんなに、泣きたいほど懐かしいものだっただろうか。
麓のロドリオ村では、子供が窓から顔を出していた。夜空の輝きが曇ってい
くのを不安そうな表情で見守っている。部屋の奥から姉らしい少女が現れると、
軽く彼の肩に手を置いた。
「どうしたの坊や」
「セレス義姉さん。空が曇っていくよ」
「大丈夫よ。きっと、女神様か大神様が雲を吹き払ってくださるわ。王の手は
長いというでしょう」
「……うん」
「体が冷えてしまうわ。あなたが風邪をひくと皆が心配する。さぁ」
肩を両腕で包まれるようにして、少年は窓から離れ、眠りの国へと旅立った。
村の後方に控える聖域の山が今、どんな状況にあるかも知らずに。その夜は、
聖闘士達には受難の、そして冥闘士達には久々の血沸き肉踊る戦いの幕開けと
なったのである。
その場で足に根が生えたように突っ立っていたリタの姿を、シオンが見つけ
た。見かけない者、と一瞬身構えて尋ねる。自分が死んでからすでに十三年経
っているのに、知らない者が増えるはずがないと思っていたらしい。
「何者だ」
懐かしいのに、やけに若々しい。疑問符を脳天に植えつけられて初めて我に
返った女。訝しげに目の前の男にガンをたれた。シオンはといえば、その表情
に初めて己が知っていた女聖闘士であることに気づき、顔を綻ばせている。
望遠鏡座が拾ってきた小さな女の子の面影がはっきりと見えたのだ。
「懐かしい。ジェイではないか」
男が放った言葉。己とあの三人、育て親、アメリカの孤児院の皆、そしてシ
オンと老師しか知らないはずの己の仮名。リタは気がつく。特徴的な眉に、二
百という年をとって尚優美な線を描くその目、口。
「シ、シオン…猊下…? 」
「そうだ。私は冥皇ハーデスによってこの地に蘇った者の一人だ」
「では貴方も……」
「話は後だ。早く神殿へ向かうぞ。着いて来い」
「っはい」
頂上では青銅の少年たちが自らの力不足を嘆き、悲しんでいた。シオンがス
ッと歩んでいく。教皇宮へたどり着いた際に彼は南十字座の本名を知った。そ
して徐に彼女の頭に手をやり、かるく撫でて笑いながら呟いたのだ。
「あの世に帰る際、ジュドーにも伝えよう……大きくなったな、リタ」
しかし、彼等はみな帰りはしないのだ。もう既に、この世から去ってしまっ
た者たちばかりなのだから。自嘲ともとれる笑みを浮かべて、しかし何も言わ
ずに彼女は後に従う。
シオンは己の教皇としての務めを果たした。女神の聖衣を今一度解放し、彼
女の元へ届けさせる。ハデスを撃破せよ。我等はその為にこの世へ今一度蘇っ
たのだ。青銅の少年たちは泣いていた。サガの、シュラの、カミュの苦しみを
ひしと感じたのだ。
そのとき、シオンの偽りの生命に終わりが訪れる。彼は膝をつき、苦しそう
に息をつく。青銅を押しのけてリタが彼を抱える。彼は笑って言った。
リタよ。我々の勝手を許してくれ。この……聖域を……たの…む……
「猊下!! 」
体が崩れ、消えてゆく。青銅の少年たちは冥界へ続く城へ旅立った。北の国。
目指すはフュッセン、白鳥城と名を冠するハーデス城。リタは抱えていたまま
の体勢で床を見ていた。シオンがこうなってしまったということは、おそらく
アイツもこうなる。そんな。分かっていたのに、体の力が抜けていく。
「リタよ」
「?! 」
振り返れば見慣れぬ青年が。だがその身に纏うは天秤の聖衣。では彼はもし
かして。
「老……爺……?! 」
「そう驚くな。わしはの、前の聖戦の折にミソペタ・メノスをアテナより施さ
れていたのだ」
「……はぁ……って、ミソペタ・メノス?! 不死の術じゃないですか! 」
「監視するだけではだめだと言われたのじゃ……いまはそんなことは良かろう。
リタよ、わし等はこれから冥界へ向かう」
「私もお供させてください」
「それはならん」
童虎の瞳は静かに瞬く。優しい視線のなかに厳しい感情が篭っていた。それ
には反抗できずにリタは押し黙る。いつの間にかカノンが童虎の傍に現れてい
た。カノンが童虎の後を続ける。
「お前まで来てしまったら、この聖域は誰が守る」
「魔鈴達がいるじゃないか」
「彼女達は強い。だがお前ほどじゃない。シャイナ等には、お前のように我等
黄金に匹敵するほどの力は無い」
一つ溜息をついて童虎が言う。もし我々と入れ違いに冥界の戦士達がここを
滅ぼしに来たらどうする。しかも我々並みの力を持つ者が中にいたらどうする
のだ。魔鈴やシャイナ、邪武や那智達ではここは守り抜けまい。だからこそお
前は此処に残り、この丸裸も同然の聖域を守らねばならないのだ。
キッと童虎を睨み、リタは叫ぶ。
「……!! ではまた、また私に一人になれと仰せか!! ついこの間に、あいつ
等に放って行かれたばかりだというのに!! 」
「リタ、お前は仲間を信じることができないのか?イザベラを始めとした白銀
達と共にここを守ることすらできない愚か者だったのか?シオンも仰っていた
ろう! 」
「だけど……!! 」
「お前を連れてはゆけん。もし向こうでお前を死なせる事があれば、わしはシ
オンやジュドー、シュラになんと言って詫びれば良いのじゃ」
「……」
俯くリタの肩に手を置いて、童虎は笑う。何、運が良ければ帰ることも可能
だろう。わし等が帰るのを待っていてくれれば良いのじゃ。確約はできんが、
必ず帰るよう努めよう。
「必ず、帰ってきてください。二人とも」
「あぁ」
「すまんの、リタ」
「っ……御武運を」
震える肩を、むりやり押さえつけて女は立ち上がり、笑う。今できる精一杯
の顔だった。それ以上は、何もできない。数多輝く星々がまた、堕ちて行く。
曇った空は、いよいよその色を怪しく彩りだしていくばかりである。
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