高校の頃の友人に近々ライブをやるから見に来ないかと誘われた。いい年こいてまだ音楽にしがみ付いてるのか、と揶揄って言うと友人は馬鹿野朗、音楽を馬鹿にするやつは音楽に泣くんだと頭をぱしぃんと叩いてくれた。昔っからこいつの平手は痛い。
丁度その日は休日にしようと決めていた日だったので二つ返事で行く事にしたのはいいのだが。ライブハウスまで車を転がしていく途中、助手席でワクワクしているエースを見て小さく溜息をついた。丁度出ようと部屋で準備している時に、親友のサボだったか、を連れて突撃してきたのである。
そしてなんやかんやあれよあれよという間にそのライブに連れて行く嵌めになった。まぁ音楽に興味あるのか無いのかしらないが、俺等も連れてってくれよときらっきらした目で見られるとついつい甘やかしたくなるのは性分か。
ライブはライブでも、ヴァイオリンやら金管楽器などとドラムを組み合わせたアンサンブルだった。有名なゲームの曲や映画の曲を披露して、客席からは一曲ごとに拍手や歓声があがっている。暗い客席内を見渡すと、サボは真面目に聞いているというのに、ここに来たいと言ったはずのエースはいつのまにかドリンクスタンドでジュースを飲んでいた。どうかんがえても飽きただろアイツ、と肩をすくめると、サボが苦笑した。
「エースの目的はアンタだったから、しかたないですよ」
「なんじゃそりゃ」
眉を軽く上げてサボに問うと、サボはにこにこと笑ったまま続ける。ただし、周りの客の迷惑にならない程度の音量で。
「アイツ、あんたの店で働き出してからずいぶんといきいきしだしたんですよ」
「へぇ」
「大学ででもアンタの話しばっかりで」
「随分と懐かれたもんだ」
眉を顰めるようにして呟くと、サボはまた笑っていう。アイツはアンタ達のことが大好きだから。その言葉にそこまで好かれてると嬉しいもんだ、と溜息混じりにサッチは笑った。
ライブの最後に出てきた男が客席に向っていいはなった。俺は、昔、生まれる前から大好きだった歌がある。それをこれから歌おうと思うんだ。もし知ってる奴がいたら歌ってくれても構わない。
そして徐にヴァイオリニストにむかって目配せを送る。初老の男は心得たとばかりにメロディラインを奏で出す。それは、海賊の歌。いつの間にか戻ってきたエースが、食べかけのドーナツを口元からぽろりと落としてステージを見上げる。その目は驚愕に目を見開いていた。
「嘘、だろ」
エースの呟く声が聞こえてやっと戻ってきたかと視線をそちらに向けたサッチは、目を剥いた。エースの目は、いつか見たあの遠くを見て笑うような、そんな色を持ちながら涙していたのである。
「ちょ、おい」
「…俺以外にもいた…」
サッチの声など聞こえていないようで、薄い明かりの落ちる暗闇の中、エースはただステージを幸せそうに、一筋の涙を流しながら食い入るように見つめている。その口元が動いた。ヨホホー、ヨーホホーホー、と。その声を聞きつけたのか、ステージ上の男がこちらを振り返る。エースを認めたのか、お前も上がれとエースをステージに引っ張り上げる。
ボロボロと涙をこぼしていたエースはにっ、と笑って涙を拭い、大きく口を開けて笑いながらステージ上の男と肩を組んで歌いだした。それはそれは楽しそうに、それはそれは、幸せそうに。
何かが、胸を打った気がした。あいつのあんな笑顔をみたことがない。あんなに楽しそうに笑う姿を見たのは初めてかもしれない。でも、太陽のはじけるようなあの笑顔を、サッチはどこか懐かしいと感じていた。
帰りの車の中。助手席のエースはもらった名刺をそれは大事そうに財布にしまう。それを横目に煙草を咥え、ターボライターで火をつける。ふわ、と特有の香りが車内に漂う。前にはサッチの友人の車が走っている。テールライトがゆらゆらと揺れていた。
「お前はあの歌を知ってるのか」
ふいに問いかけられたので驚いたのか、エースがこちらを向いた。その表情からは何も伺えないが、目は雄弁に語っていた。なぜアンタは知らないのか、と。聞いた事もない歌だ。それにあの男は言っていた。生まれる前から知っていた歌だと。
そんなあほな。人間誰しも生まれる前から知っていることなど何一つないはずで、ただ一つわかることは、生まれる瞬間に人としての一歩を踏み出すだけであること。生まれる前の記憶など無いに等しいし、知っている人間がいれば奇異の目で見られることは明らかだ。
しかし、エースは目を細めて前を走る車のテールランプを見つめながら笑って言った。
「あぁ、生まれる前から俺も知っていた」
どう答えを返せばいいのかわからない。こいつは頭どっか打ったのかと一瞬考え込むが、あいにくライブ中にもそれ以前にも頭を打ったところは見ていないし、聞いてもいない。まぁ、こいつがそう言うのならそうなのだろう。
「いい歌だったな?」
「いや疑問系で聞かれても」
吹き出したエースをちらりと見て嘆息する。やはりあれは気の迷いか。泣いているエースを見た瞬間、頭をなでてやらねばと焦ったこと、同時に、それを誰かに伝えなくてはと思ったなどと。最近自分はどうかしてしまったのではないかと思う。昔から感じていた記憶の飢えは、ここに来て確かに強まった。そう、エースが来てから。
俺は、何かを忘れているのか?
疑問ばかりが煙草の煙と一緒に宙を舞っていた。
[2回]
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