雑兵らが開けた扉の向こう。壁という壁に幕が掛かっていて、神秘的な
雰囲気を醸し出している。床には大きく広がる猩猩緋の絨毯。奥には玉座
が見える。長い間偽者が暖めていたその椅子に座して来訪者を待ち受けて
いたのは。
「! 」
「猊下!! シオン猊下!! 」
リタが挨拶もへったくれも無しにその人物の元へと走っていく。待って
いた豪奢な金髪の人物も厳しい顔を緩めて迎える。しがみ付いてなにやら
言い続ける彼女にうんうんと頷きながらリタの頭を撫でていた彼は、徐に
ポイッとリタを横にどけてアテナとセレスの方へ歩んでくる。
「全く、あれほど礼儀には煩く教育したはずなのに。あの子はまだ直らん
ようで、申し訳ない―――お久しゅうございます、アテナ」
「えぇ、シオン」
「そちらは我等の命を救済してくださったペルセポネですな? 」
「あの、セレス、とお呼びください、シオン猊下」
「セレス? 」
後ろからリタの声がする。セレスが本当の名前なんだ、だからセレスっ
てお呼びしてください、猊下。不思議そうだった瞳に笑みが戻り、そして
大きな手を半ば怯えた様なセレスに差し出す。
「ここの教皇を務めさせていただいておる、シオンと申しあげます、セレ
ス様」
セレスはおずおずと手を伸ばし、握手する。暖かな手だった。ニコルが
彼女の頭越しにシオンに何事やら告げるのを見て、南十字星が女官を呼び
止めて何かを持ってきて貰ったのが見えた。
パチン、という音と共に顔に嵌めている。どうやら仮面のようだ。ユー
リを見れば、彼女もまた同じように。
「何故リタ達は仮面を? 」
「元来、ここの女は仮面をしなければならない規則なのですよ、セレス」
ニコルが苦笑する。その言葉にアテナが反論した。あら、その規則は私
の代で撤回ですよ、ニコル。でもここの重鎮方が五月蝿くって。その言葉
に微かに驚いた様子の祭壇座は、それでも冷静に何やら女官に言いつける。
曰く、まだ青銅の奴等は此処から先に入れるな――――と。
疑問符を顔に浮かべながらセレスが女官達のコロコロと笑いながら退出
していく様をみていると、目の前の壁のように背の高く、また気品ある男
から声が掛かった。
「さぁ、参りましょう御二人とも。黄金聖闘士達、あわせて十三人が貴女
方を待っております」
女神の手うやうやしくを取りながらシオンは二人の女神に笑いかける。
セレスの手はニコルが取るのかとおもえば、なんとリタがそれをした。祭
壇座に意味深に顔を向けて南十字座は問う。
「ニコル、いいのか? 」
「彼等に言いたい事は山ほどあるだろう、お前は」
「へへっ――――――サンキュ」
四人して玉座の向こうの垂れ幕をくぐる。廊下を歩み、奥にはまた重々
しく閉められている扉。蝋燭の灯りに照らされて、扉の前に立つ彼等の影
が揺ら揺らと踊る。暗い部屋なのに、前のアテナの衣装やシオンの髪、そ
してリタのマントがいやに白くうつった。
「開けますよ。宜しいですか、アテナ」
「ええ」
ニコルとユーリが左右に立って、しずしずと扉を開けてゆく。
とたんに光が目を刺した。太陽の光?否、これは太陽を反射した金属の
輝き。女神の像の前に大きな光の塊があって、それが太陽を跳ね返してい
るのだ。
先に歩むシオンとアテナの髪が風に靡く。サラサラと。静かで、澄み切
った空気のなかを緩やかに続く石段。リタに連れられてセレスはゆっくり
と登る。彼女が纏った白いマントも風に揺られて美しくシルエットを変え
て舞い踊る。
だんだん光が強くなる。
そして光の塊から口々にアテナの名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「アテナ! 」
「アテナ!! 」
そのまま彼等の脇を通り過ぎ、大きな女神の像の前に立つ。見上げると
その像は優しく視線をセレスに返してきた。ただの像なのに、見つめただ
けで心が満ち足りるように感じる。
振り返ると、勢ぞろいした黄金聖闘士十三人が、そこにいた。
セレスを女神像の前の三段階段の最上まで連れて行ったリタは、そこで
彼女の手を放して風に翻るマントを軽くあしらい女神二人とシオンに一礼
する。
「――御前失礼」
そして黄金聖闘士達の後方から少し離れて控える。それを確認してかど
うかは分からないが、アテナが静かな笑みを湛えて彼ら十三人に話し始め
た。話を聞くのが正直苦手なリタは、上の空でほかの事を考えていた。
あいつ等に、何を言ってやろうか、と。
今まで共に暮らした、彼等。生き残っていることを童虎達に知られる事なく
今までを生きてきた先代南十字星のステラと、リタを拾い、今まで育て上げ
たジュドーと暮らした生活に終止符を打ったのはアイオロスとサガだった。
ジュドーはアイオロスとシュラの戦いに首をつっこみ、聖剣の巻き添えをく
らって死亡、リタはその現実をしらずにただジュドーの骸にすがり泣いた。
そして、それから数年もたたぬうちにシュラがアメリカの孤児院に現れた
のである。
リタの生活はまさに、その瞬間から変わってしまっていたのである。聖域
へ連行されて、幾年かたったのちにシュラと共に宮で暮らし、他の黄金達
と笑い、白銀達と泣き、青銅達と怒りながら今までを過ごしてきた。
黄金達は十二宮の戦いで半数以上が命を落とし、聖戦では冥界から敵
としてアテナに反旗を翻し、そして、そして最後に嘆きの壁の前で、太陽を
創り出して散った。
彼女はその総ての戦いに翻弄されて、その度に一人取り残されてきた。
――いろいろ考えるとムカついてきたのが自分でも分かる。………決めた。
サガ達は女神を見上げ、彼女の話を聞いていた。一方では女神の隣に
立つ人物や、背後にいる若々しい姿の教皇に訝しげな視線を送ったりし
ている者もいたのは嘘ではない。
そんなこんなで、沙織が話をしめくくろうとしている。
「――私からの話は以上です……リタ、彼等に言いたい事があるのでしょう? 」
「ええ、アテナ。…睨下、お二人をヨロシク」
「――馬鹿者が」
「何とでも言ってください。――――冥界からノコノコとお帰りになりや
がったボケ共!! …覚悟は出来てんだろうなぁ? 」
右手に小宇宙を集中させて音もなく立ち上がる。その背後にユラリ、と
陽炎が立ったのは錯覚ではあるまい。シオンとアテナは、知らず溜息を漏
らした。
そこに、教皇の間から空気を読めずに飛び出してきた者達がいる。青銅
聖闘士達だ。盟もいる。先陣きって走っていた星矢の顔面にリタの左手の
平が炸裂する。アイアンクローの指が曲がっていない状態だと思ってもら
えば分かり易いだろう。ビンタの真正面版だと思ってもいい。
パッチィィィン!! と軽快な音が響き渡り、次いで声にならない悲鳴が小さく
あがった。
「~~~っ!! 」
「そこから一歩でも動くとてめぇら消すからな、邪魔すんなよ? 特に盟」
「なんで俺だけ指名なんですか」
その突っ込みには彼女は答えずに、灰色の虹彩で真っ直ぐに十三人を睨
みつけている。仮面から伺えるのはこの瞳だけ。その瞳に湛えられたのは
とぉっても危険な輝き。黄金のうち数人はこの光を確認して、人知れず溜
息をついていた。
「いいから下がれ、盟。星矢も」
「紫龍」
グイグイと引っ張られ、そして紫龍が指差す先を見た二人。目を見張っ
て頷いた。氷河は今にもカミュに向かって走り出しそうだったが、瞬が己
の鎖で白鳥座を縛っている。心持ち冥王の一面が出ているのは気のせいで
あろうか。
盟がリタの右腕をみて嘆息交じりに漏らした。
「…リタさん本気だ……アレは喰らったら死ぬわ。師匠、大丈夫かな」
「黄金の皆、可哀相……」
「また冥界に逆戻りだったりして」
「笑えないからよせ」
まだ顔に痛みが残っているのか、涙目になりながら星矢は呟き、紫龍が
冷静に突っ込んだ。それを聞いてか聞かずか、リタは右腕に溜めた小宇宙
を一気に爆発させる。目の前にいた黄金色の聖衣を着た者達へとぶつけた。
リタの向こう側に隕石が降っているように見えた。とは、教皇の間から
様子を見ていた祭壇座の言である。激しい音の後はもうもうと立ち込める
煙。岩盤が破壊されて、それが磨り潰されて砂となり、宙を舞っているの
だ。
今なら粉塵爆発だってできるかもしれない、とはユーリがこっそり祭壇
座に目ざとく聞かれて怒られたぼやきだ。
それが漸く引いて向こう側が見えるようになった。黄金聖闘士達はそれ
ぞれ己の腕で顔を庇うようにしてその場から身動き一つしていない。流石
といえば流石である。それでも、其々頬に一発ずつパンチが入っていた。
シオンは二人の女神を庇ってバリアを張っていて無傷。
リタはそれを無言で見つめていた。
そして徐に顔面を指先でパチンと弾く。仮面にビシリとヒビが入ったか
と思った瞬間、粉々になった。その下から覗いた顔は、泣きそうになりな
がらも笑っていて、薄い唇がゆっくりと言葉を紡いだ。
「お帰り、皆」
その声に、リタの後ろに群がっていた盟や星矢達が思い思いの場所へ走
っていく。盟はデスマスクの所へ、紫龍は老師とシュラの元、氷河は言う
までも無くカミュの元へ、瞬は星矢と共にアイオロスやアイオリア、ムウ
達の所へ。貴鬼もムウに纏わりついて笑っている。
リタは和やかに会話を交わす彼等を通りぬけて、アフロディーテの所ま
で歩く。
「お帰り、レオン」
「ここで言うな、その名は」
「ん、ごめん。――見事な演技だったんじゃないのか、アレ」
「知っていたのか…。なかなかのものだったろう? デスも私も。ハリウ
ッドも夢では無さそうだと思わないか? 」
「ハハッ、まったくだ」
“見事な演技”とは聖戦の折に、デスマスクとアフロディーテがワザと
ムウやラダマンティスに負け、冥界の奴等に黄金聖闘士は弱い、という印
象を植え付けた事だ。故にカノン達が冥界に入り込むのも楽だったし、星
矢達はそれ以上に侮られていたから勝つのも容易かったのだ。
顔を見合わせて笑う。するとそこに声が入る。
「なかなかいいパンチを持っているではないか、リタ」
「シャカ。ミロ、カミュ。氷河もな」
アフロディーテと並んで四人を見遣る。ミロが何かをいいたげにしていた
が、リタがにやりと笑ってやると、全てを悟ったように苦笑した。シャカはそ
知らぬ顔で微笑んでいる。
「それなりに加減したんだろう、アレ。しっかり俺達には当たってるのに、
後ろの青銅達は無傷だった」
「バレたか。でも、アレで吹っ飛ばないのは流石だよな、皆」
「当然だろう、これでも我々は黄金なのだ」
「そりゃぁ、なぁ」
「リタ、」
アフロディーテが肩を叩く。振り返ると彼はニ、と笑んでリタの後方を
指差し「後ろを見ろ」とジェスチャーする。言われたとおりに後方を見る。
そこにいたのは、己が師と、その友人。
「ロス兄………と…」
「随分と大きくなったな、ジェイ」
「ジュ……ドー……? ほんとに、ほんとにアンタなのか? 」
「俺がチャコに見えるか? 」
肩を竦めて笑う、その笑顔の左側が少し歪む癖。その醸しだす雰囲気。
全てが、昔のままで。リタの胸に熱いものがこみ上げる。泣かない、そう
決意した。でも、今は―――全ての感情を表に出したい。
「ジュドー!! 」
皆が見ているのも構わずに飛びついた。
こら、お前、ちゃんと礼儀を教えたろ。などと言って呆れた口調が耳に
届く。そんなのは構ってなどいられない。この十三年、忘れた事など無か
った、己の父代わり。
自分達をあの孤児院に放って、ロスを助ける為にシュラの聖剣の餌食に
なった、望遠鏡座の聖闘士。自分をあの惨状から救い出してくれた、人生
の恩人。
シュラたちと過ごすようになってから、アイオロスとジュドー、シオン
の誕生日には必ず酒を飲んだ。命日にその人が居ない事を悲しむよりも、
誕生日にその人が生まれてきた事を祝うほうが楽しいから。
「あんたが望遠鏡座のジュドーか」
錆の入った声が彼等の耳に響く。視線を声のほうに移せば、それはリタ
の仲間達。この九年間、苦楽を共にしてきた三人が並ぶ。声の主は真ん中
に立っていた。
「あぁ、そうだ。…山羊座のシュラとお見受けするが」
「貴方に謝罪をしに来た」
肩越しに振り返るジュドー。彼に抱きついたままのリタは、シュラを凝
視している。視線と視線が、静かに交錯した。シュラの鋭い視線に負けた
ように目を伏せて、ジュドーは静かに笑って言った。
「私は貴方達に謝られる事など何も無い」
「しかし、」
なおも言い募ろうとする山羊座に向って、望遠鏡座は目をあけて、リタと
同じように真っ直ぐにシュラをみつめていう。真剣な顔には、うらみなどど
こにもみあたらなかった。
「私は手出し無用の戦いに勝手に首を突っ込んだ。そしてその罰を受けた
だけの事。貴方に謝られる資格も権利もない。この子とて同様だ。自分で
突っ込んだ首の後始末は、自分でつけなきゃならなかったのに、貴方達に
押し付けてしまった」
それから片目を閉じてジュドーはニタリと笑う。
「こちらが礼を言いたいくらいだ。だからあいこだ。それでいいか? 」
アイオロスが苦笑いをしている。何に笑っているのかと思ってよく見る
と、リタの肩が震えているのが分かった。望遠鏡座の腕から身をよじって
抜け出しながら、彼女は静かに問う。
「ジュドー…さん? 」
「なんだジェイ」
「タイマンの戦いに手ぇ出したのか?! アホと違うか、アンタ!! 」
「痛たたたたたたあたたあた!!! 」
頬をつねり上げられてアガアガと呻いている、現在おそらく三十三歳。
サガもカノンもみて呆れている。シオンがずかずかと歩いてきた。
「お前はいつになったら教え子の尻の下から脱出できるんだ」
「んな事言いますけどね、シオン!! こいつが何時までたっても成長しな
いから…」
「アンタのほうが精神的に成長しとらんわ、ボケェッ!! 」
「全くだ」
今度は連合艦隊でステレオ並みに攻撃をされる。成す術なくワタワタし
ている彼をみて、アイオロスがギャハハ、と笑い出した。つられてカノン、
デスマスク、アフロディーテ達が笑い出す。その笑いは皆に伝染して、そ
こに居た人間は全員、笑いの渦につつまれた。
皆、還って来た。アテナが再び降臨してから今までに、星となって空を
堕ちて行った仲間が。
リタが徐に皆を掻き分けて女神達のところへ行く。みなの様子に戸惑っ
ていたセレスと、優しく微笑んでいたアテナの手を取り皆の輪の中に帰る。
「皆、彼女がペルセポネ様を宿してる、セレス様だ。ありがたく拝めよ」
「へぇ、こっちはお嬢と違っていい体してんじゃねぇか」
「お前はすぐそれだ」
蟹座に向かって呆れるリタ。アフロディーテが笑っている。シオンが彼
女に向かい、片膝をついて頭をたれると皆がそれに従う。青銅の彼らも慌
ててそれに倣った。
光あふれる中、また一つ、歴史が刻まれたのである。
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