スターヒル。
教皇しか登る事を許されぬその丘に、人だかりがあった。
その中心には三人の人間。
一人は聖域の主である女神アテナ。もう一人はアテナが女神ペルセポネをその身に宿す少
女セレス。そして、彼女らを警護する為にきた南十字星のリタである。
リタがドイツの白鳥城で見つけた月の形を模したような錫杖を、セレスは両手で握りしめ
た。口から呪文の様な祝詞が紡がれてゆく。アテナが、アレは神の言葉だと教えてくれた。
シャリン………
一言紡ぎ終えるたびに錫杖を振るう。
すると何処からとも無く薄っすらとした光を持ったオーラが錫杖に集まりだす。またペル
セポネは言葉を紡ぐ。杖を振る。石突が大地に当たり、静かな丘の上に錫のぶつかり合う音
が響き渡る。どんどん光は集まる。
光の糸は縒り合わされ、離れてはまた縒り会うを幾度と無く繰り返し、光が強くなってい
く。それに合わせてアテナと周囲に立つ聖闘士達も、己の小宇宙を増幅させてペルセポネの
錫杖にそれを託す。
静かに控える女の顔には、かつて着けていた仮面が無い。サガ達が一度冥闘士となって帰
って来た時に割ってしまった。二度と会う事も無いのだろうと、信じたくも無い事を考えて
自分を無理やり納得させてしまった結果だ。
ペルセポネことセレスが神の言葉を呟いている間に、ついこの前、十二時間という限りあ
る命をもってこの聖域に帰って来た彼等六人の黄金聖闘士達の事を思い出した。ムウに聞か
ずとも見えてしまった彼等六人の血の涙と慟哭。その時は彼等の真意を悟る事は出来なかっ
たが、あの黄金の彗星が其々の宮から飛び立つのを見て、改めて悟ったのだ。
全ては、アテナと、地上の為に。
そして、彼等は一陣の風となって沙羅双樹の園でリタ達に最後の別れを告げて去っていっ
たのだ。それから聖域には平安が訪れた。しかし残された事は山積みだったのである。
戦闘によって破壊された十二宮、教皇の間、そして冥界にも同じような被害が及び、双方
手ひどい荒らしにあってしまった状態で、冥界なんぞは死者の片付けができないので参って
いるそうだ。天猛星からの事後処理連絡でそう綴ってあった。
教皇代理として短い期間であったが忙しい日々を送る中、リタは女神とともにオリンポス
へ向かった。そこで会った神々。大神ゼウスは、大神の立場を守らねばならないと彼女達の
願いを却下した。しかし思慮の女神メーティスの一言により、ペルセポネの宿りし人間を探
し出したのである。というか、彼女が自分で現れた。
「――――ッ来ます! 」
突然のアテナの声に我に返ったリタ。辺りは煌々と眩いばかりの光に包まれていて。その
中心に立つセレスは本物の女神の様に見え、一瞬気を取られた。光の糸が凝縮し、絡み合い、
膨張し―――――
突如それは来た。
衝撃に転倒しかける女神を庇いながらペルセポネの方に顔を向ける。嵐のような風が巻き
荒れ、目をまともに開けていられない。なのに、彼女は平然と嵐の中に立ち、こちらを見て
いたのだ。
リタをひたと見据えている彼女の瞳に光が無い。何かがペルセポネの背後に湧き上がった
のが見えた。その怨念の様なモノは暴風を物ともせずに舞い上がり、急に角度を変えてこち
らに突進して―――――。
凄まじい量の星が空から降り注ぎ、目の前が真っ白になった先は覚えていない。
帰還 01
気がつけば、先ほどのような暴風は嘘の様に無くなっていた。呆然として辺りを見回し、
さっきまでの経緯を思い出しながらも首を傾げ、それから自分が女神を抱えているのに今更
気付いて吃驚し、無礼にならない程度に女神を揺する。彼女は先ほどの衝撃で既に意識を失
っていたのだ。
「――――ッアテナ! ご無事ですか?! 」
「う……ん……」
微かに瞼が揺れ、大きな瞳が姿を現す。初めは焦点が合わずに目を彷徨わせていたが、や
がて二つ瞬きをすると彼女は自ら起き上がってリタに尋ねた。
「リタ……ペルセポネは? 」
言われてから思い出したように辺りを見回す。周囲に居たはずの聖闘士達も飛ばされたよ
うで、方々で頭を摩りつつ起き上がる姿が見える。さっきのあの怨念のようなオーラは何だ
ったのだろうか。彼女に異変が無ければ良いのだが。
やがて、先ほどの位置にセレスが倒れ伏しているのを見出し、慌てて駆け寄り抱き起こし
て顔を覗き込む。顔色から判断するに命に別状は無さそうだ。気を失っているだけのようで
ある。
「リタ」
「ええ、アテナ。恐らくご無事です」
近寄ってきた女神に笑いかけ、もう一度顔を戻すとセレスはその緑色の瞳を精一杯見開い
ていた。目が合うと、少女はすぐに飛びのいて女神とリタを見つめる。
「あ、ああ貴女達誰ですか?! 」
その口から飛び出した科白に二人は驚いてセレスを凝視する。
「ぺ、ペルセポネ? 」
「誰ですか、ソレ? ……ってそうじゃなくて! 私は何でこんな所にいるのですか? 」
「だ、誰って………」
思わずリタはアテナと顔を見合わせてしまう。彼等十二人の聖闘士達やその他の仲間達を
この世に蘇らせてやる。そういったのはペルセポネ本人なのだ。そして、彼女の杖が必要だ
とその女神は言い、どこにあるのかと問えばなんとハーデス城。
ドイツにあるノインシュバンシュタイン城は既に聖戦によって一度破壊されていたが、リ
タがペルセポネに言われたとおりに行って見ると、まるで何事も無かったかのようにそれは
そこにあった。
とりあえず、今までの事情を手短に話す。彼女は部分的に覚えていたようだが、自分が女
神であるということをどうやら信じていないらしい。しかし、今リタ達が感じている限り、
一度は死した黄金聖闘士達や、その他の闘士達―――白銀や青銅など―――は蘇っているの
だ。
沢山の輝かんばかりの小宇宙が、其処かしこに溢れている。
「とりあえず、アテナ神殿へ参りましょう。そこにいるはずの聖闘士達を見ていただければ
納得できるはずですし」
アテナはそう決断し、セレスとリタ、そしてその他の聖闘士達を連れてスターヒルを降り
ていく。降りる途中に貴鬼がリタに笑顔で問う。
「皆本当に帰ってるのかな?! ムウ様もシオン様も老師も、ミロもアイオリアも!! 」
「還って来てるよ。貴鬼お前、小宇宙を高める修行をまだやってねぇのかぁ? 」
「少しはやってるよ!! でもね、修復の修行もしないといけないから忙しいの! 」
「ハハ…、分かった分かった。青銅の奴等には沙織さんとペルセポネを先にお連れするから、
まだアテナ神殿に行くなって言っといてくれるか? 」
「分かった、伝える! 」
無邪気な彼の様子に、女神も目を細める。
まだ齢十四にしかならぬ身なのに、背負わされた宿命はあまりに過酷なもの。それに猛然
と立ち向かう城戸沙織という少女の姿には、畏怖すら覚えた。
ロドリオ村を抜け、聖域の十二宮の石段に差し掛かる。雑兵達が、階段までの周囲に整然と
整列している様はまさに圧巻だ。
長い石段を見上げてセレスは短い叫びを上げた。
「これを登るの?! 」
「ええ、セレス。ここはテレキネシスも通用しない場所。上まで行くには、己の二本の足で
歩いて登るほかはありません」
「………途中、休憩とかしてくださいますか? 」
「其々の宮の説明をして差し上げましょう。ホラ、早くしないとアテナはもう御上りですよ」
「ま、待ってください、アテナさま!! 」
数段登ったところで振り返り、クスクスと笑うアテナ。それに続くセレスとリタ。ゆっくり
と頂上への階段を登っていく。
「セレス、これは十二宮最初の宮、白羊宮です。牡羊座のムウが守護しています」
「広い……。このような宮が十二もあるのですか?! 」
「ええ。次は金牛宮、双児宮、巨蟹宮、獅子宮、処女宮、天秤宮、天蠍宮、人馬宮、磨羯宮、
宝瓶宮、双魚宮の順に」
「凄い…、では、その宮の一つ一つに守護者がいるのですね?! 」
「ええ。さぁ、急ぎましょう―――先程も申しましたが、この白羊宮は牡羊座のムウが守護し
ております。つぎは牡牛座のアルデバラン、双子座のサガ、カノンといったふうに」
「双子座は御二人なのですか? 」
「ええ、ですが双子座の聖衣は一つだけしかありません。故にカノンも随分と辛い思いをしま
した」
「お可哀相に……」
「――セレス、貴女も女神なのですから、もっと堂々となさっていても結構なのですよ? 」
アテナが笑んで言う。セレスは沙織よりも五つは年上のはずなのに、赤くなって頷いた。そ
れから徐に後ろを振り返ってリタに尋ねる。
「リタ、あの大きな時計のようなものは何ですか? 」
「あれは火時計でございます。普段は使わないのですが、過去に二度ほど使われました―――
さぁ、まもなく金牛宮です」
「……さっきの宮でも思っていたのですが、白や金色ではないのですね」
「そうですねぇ。いっそのこと白く塗ればいいじゃないかとムウに言ったことがありますが、
怒られました。そういうことを言っていると、本当に実行する莫迦がいるんですから、って」
「――リタ、それはもしかしなくても」
「ええアテナ。蟹です」
「蟹? 」
「蟹座の黄金聖闘士のことです。お世辞にも忠誠心厚い人間とはいえない奴ですが、とてもい
い奴ですよ。ですがお気を付けください。アイツは女の事となったら手が早いですから」
「まぁ」
お喋りをしながら登るので、随分と時間がかかる。ついに後から兵達が追い駆けてきて、お
早くお上りになって下さいと懇願された。苦笑するリタと沙織。
「ではアテナ、少し急ぎましょうか」
「そうですわね」
足を急がせて金牛宮にたどり着く。と、そこにはリタの見知った小宇宙が二つ。入り口の前
に並んで立って彼等三人の到着を待っていた。突如リタが走り出す。片方の銀髪の少女らしき
少女に抱きついた。少女も嬉しそうだ。
「ニコル! ユーリ! 還ってきたんだな!! 」
「リタ! 」
笑顔を零れさせて抱き合う二人を尻目に、男の方は後から登ってきた二人に挨拶をしている。
随分と文官風なのだが、それでも戦闘能力は高い。彼は祭壇座のニコル。銀髪の少女は六分儀
座のユーリ。ニコルは白銀で、ユーリは青銅聖闘士である。
「お待ちしておりました。アテナ、ペルセポネの両女神様」
「あ、あの、私―――」
「ニコル。彼女はセレスと呼ばれたほうが親しみやすいのだそうですよ」
「これは失礼、ではアテナ」
「ええ。よろしくね」
ニコルにむかってリタが文句を言う。なんだよ、あたしのことは待ってなかったのか?!
言われたほうは苦笑しながらアテナを抱えあげて言う。そんなはずがないだろうが、と。
「お前もセレス様を」
「了解。―――セレス様、御身体に触れる無礼をお許しください」
「え―――きゃぁ! 」
いきなり足元を掬われ、横抱きにされた彼女は軽く悲鳴をあげる。それを聞いてリタは可愛
いのは羨ましい、と心の底から思ったとか思わなかったとか。
三人で階段を駆け上がる。アテナはもう石段に慣れているが、セレスは凡人の身。抱えても
らって走るのに、空気抵抗の物理防御ができないので、途中の天蠍宮で音を上げた。
「アテナ。セレスが。暫く此処でお休みしたほうが」
「―――――そうですわね、ニコル。降ろしてくださいな」
両女神を抱える二人もユーリも息一つ乱していない。聖闘士はなかなか便利なのだな、とセ
レスは感じた。そして天蠍宮の入り口に彼女等を座らせて、リタとユーリは中へ入っていく。
リタがいなくなったところで、沙織に少女は問うた。
「アテナ様、リタは宮を持っていないのですか? 」
「リタは白銀聖闘士ですから、守る宮はありません。ですが、代わりに教皇の間において私の
周囲の警護をしてくれています」
「そうですか……リタの宮があればいいな、と思ったのですが…」
「でも彼女は十二宮のような馬鹿でかい建物なんて性に合いません、と笑顔で辞退するでしょ
うね」
「何故です? 」
「彼女は必要最低限の物しか持たない性なのです。最初に彼女の部屋を訪問したときに痛い程
分からされました」
小さな寝台と、聖衣を入れるパンドラボックス、それに小さな鞄とトランペットだけの荷物
をだだっ広い堂室の隅に固めて置いてあった様を切々を語る沙織。自分が様々な物を持ち込ま
なければ、殺風景な部屋は今でも変わらなかったでしょうね、と笑う。
すこし間をおいて、セレスは疑問をもう一つ投げかけた。
「アテナ、もう一つだけお伺いしたい事が」
「何でしょう? 」
「リタは……その、強いのですか? 」
「ええ。彼女の力はほぼ黄金聖闘士と並ぶでしょうね。頼りにしています」
「―――アテナ、買い被り過ぎですよ。サガ達が聞いたら笑います」
振り向くと、呆れた顔をしたリタ達が、ティーセットのトレイを持って立っていた。地べた
に座らせてしまって申し訳ありませんね、そういいながら彼等の横に座り、紅茶を淹れる。ア
ールグレイのいい香りが漂う。
「フォートナムメイソンですが、アテナ、御口に合いますか? 」
「――――美味しいわ。リタはお茶を淹れるのが上手いと聞いていましたが、本当なのね」
「誰からそんなの聞いたんですか。それも買い被り過ぎですよ」
「盟お兄様から聞きましたの」
「――――っの野郎、いらん事言いやがって」
ブツブツと言うリタの様子が可笑しくて、セレスは声を上げて笑った。笑うなんて凄く久し
ぶりである気がして、それも笑いに拍車を掛けた。アテナもつられて笑う。ユーリが茶々を入
れる。
「でも、いつもほかの人間に淹れる時は結構ぞんざいよね」
「喧しい、どこのどいつに聞いたんだ、んな事」
「あら、ニコル助祭長よ」
「……ニコルさん? 」
ギラリ、とリタの目が光る。ニコルは在らぬ方向を見ているが、明らかに肩が震えているの
が分かった。アンタいい加減にしろよな、あたしがいつぞんざいに茶を淹れた!! と彼女は目
の前にアテナがいることも忘れて荒っぽい言葉を吐く。
セレスは笑いが過ぎて、あやうく過呼吸になるところで漸く止められた。
「ケホッケホッ!! 」
「大丈夫ですか、セレス? 」
「ええ、ケホッ。大丈夫ですわ」
「ではそろそろ参りましょうか」
アテナの一声で、ユーリが先にトレイを持って天蠍宮に引っ込む。そしてまたニコルはアテ
ナを、リタはセレスを抱き上げて、長く続く石段を登り始めた。
今まで通ってきた建物と同じような造りの教皇宮。
これだけ豪華な建物があって、それでいてアテネに近いのに、住民に聖域の存在を知られてい
ないのはとても不思議に思えた。
入ってまず廊下があり、其処を真っ直ぐに歩いてゆく。やがて大きな観音開きの扉が見えて
くる。教皇宮、教皇の間の最深部である玉座の間だ。
「リタ、待って待って!! コレ、纏っていってくれなきゃ困る! 」
リタ達がずかずかと教皇宮を進んで行くと、双魚宮を抜けた辺りで先に走っていっていたユ
ーリがリタに追いついて何か言っている。その手には白い布。マントだろうか。
「ま、まさか助祭の正装とか言わねぇよな、ユーリ?! いやだからな、アレは!! 本気で!! 」
「そんな目に見えて厭そうな顔しないの! あたしだってアレはごめんだ――じゃなくって!
コレ! 」
「――よ、良かった…ただのマント…」
「さぁ、良いか」
ギィィィ。
戸の前に立つ宮兵が彼等に一礼し、背後のそれを開けた。
[0回]
PR