「インコンプリート」
海はとめどなく広がりを見せ、空といつかは繋がってしまうのではないだろうかと思わせる。
そうしたら、今までの長い航海の中で失ってきた仲間と会うことができるのだろうか、とふと
考え付いて、マルコは咥えていた煙草をぷっ、と海へと吐き捨てた。
今日もモビーディックは忙しい。見慣れた世界に、かけた者。先日、マルコ達海賊団の一人
が同じ仲間であった者の手によって死んだ。エースは激昂し、涙した。その姿は既に船にない、
エースが愛用していたストライカーの影もなく。かれはたった一人で黒ひげの後を追ったの
である。親父が行くなと止めていたにも関わらず、である。しかしその事実をマルコは知ってい
た。
サッチの葬儀が終わった日の晩。悲嘆にくれる仲間を甲板に残し、マルコは一人部屋へと戻
っていた。一人で親友を見送る儀式をしたかった。サッチの好きだった酒を一瓶持ち込み、グラ
スへ注ぐと、それは何ともいえぬ色を見せた。目元がふと綻ぶ。あいつはいつもコレのでっかい
瓶を抱えて眠っていたなぁと思い出したのだ。
一杯飲み終えたところで、部屋の外の気配に気がつく。さっきから動こうとしないその気配に溜
息を一つ落として、椅子から立ち上がり戸を開ける。そこに蹲るようにしてエースがいた。ふるふ
ると肩を震わせている。
「んなとこで蹲ってるくらいなら入って来いよい」
「…マルコ…」
エースはひくりひくりと肩を揺らしつつ、部屋へ入ってくる。お前もやるか、と差し出したグラスを
受け取り、その杯の中に酒が注がれていくのをベッドに座ってじっと見ている目は何かを決意して
いたとしか思えないものがあった。
自分の杯にも注いでから、徐にマルコはグラスを掲げてエースへ向き直る。そして一言、呟いた。
「サッチに」
「……サッチに」
一息で飲むには辛いその酒だが、今日は何か水のように味気なく、アルコール臭がしなかった。
エースがそれを飲み込んでから、何か思いつめた面でマルコを見据えてきた。どうした、と小さく
笑うと相手は目を軽く閉じ、意を決したように口を開いた。抱いてくれ。
「…また唐突だな、エース」
「今、体中がぐちゃぐちゃで、どうすればいいかってわからないんだ」
けじめが欲しい。そういったエースの真意を測りかね、首を傾げる。焦れるようにエースが両腕
をマルコの首へからめた。その耳元で小さく囁かれた言葉にマルコは目を見張る。お前、それを
俺に言ってもいいのかい。思わず問うた。
「マルコは俺を止めたりしない。だろう?」
うむを言わせぬものを含んだ声音。いつもはその声音を使って叱るのがマルコの役目だったは
ずだ。しかし、今日はエースは、本当に真剣だった。かすかに震える背を撫でてやって。耳元で囁
き返す。
「行って来い、末っ子」
「……っ」
肩口で泣きそうになっていたエースの顔が上がり、マルコを見上げた。その視線にマルコは小さ
く笑ってやって口付けた。一筋の涙を流しながら、エースはそれに応えて喉で喘ぐ。涙を舌で舐め
取り、ゆっくりとエースをベッドへ横たえていった。
早朝、少し歩く姿勢がおかしいエースを笑って、一人ストライカーを見送った。餞にログポースを
渡して。だんだんと離れていくストライカーの影を見つめていたマルコの胸中は荒れ狂っていたの
だ。
平静を装っていた。行かせたくない。お前一人をこの広い海へ放り出してしまうのが怖い。お前は
もう二度とこの船へは帰ってこないかもしれない。そんな予感がしていたのだ。
なのに、見送った。最中に泣きながら呟いていた言葉が、喉まで出掛かっていた彼を引き止めよ
うとする言葉を飲み込ませた。飲み込ませて、心の奥にしまわせた。ここで俺が引き止めても、奴
はきっと止まらない。そう痛感させられた。
戦争は、沢山の戦死者を出して終結した。親父、部下達、エース。
行かせたくなかった理由はこれだったのかもしれない。もう明日から、いや、今日からあの笑い声
や笑い顔をみることなく生きていかねばならない。壊滅状態の海軍本部の瓦礫を離れていく船の甲
板からみやって、煙草を探した。やっと見つけたそれはしわしわに折れ曲がっていて、それすらも己
をあざ笑っている様に見えて、苛立ちと共に口に咥え、指先で火を点した。
煙は風に乗ってどこまでも流れていく。
[2回]
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