「ひろし・・・。」
「!」
震える肩を優しくだかれてひろしは振り返った。空はうんざりするほど青いし、
海もいやになるほど広い。甲板には皆が集まっているだろう。もう、時間なのだ。
「オヤジがまっている」
「わかってる」
ひろしは無理矢理笑顔をつくってビスタを見上げる。優しく、しかし困ったようにビ
スタはその頭をなでた。ビークヘッドには、見送られる者が横たわっているのだろう。
ヘッドに行く事を、ひろしはとても怖がっていた。そこには、もう二度と喋ることの叶わぬ
人がいる。ビスタに付き添ってもらって、ようやっとみんなの待つ場所へとひろしは歩い
ていった。
あの日、あの夜、ほんのもう一瞬でも一緒にいたら彼はこんなことにはならなかった。
自分さえあの場所を離れなければ、さっさと口に押し込んでおけば。
後悔ばかりが先にたつ。こうしておけば、ああしなければ。
「・・・ひろし」
俯いてしまったひろしの頭を優しく撫でる手袋の感触。ビスタはいつも、どんなときも
こうやって見下ろしてくるのだ。その心を押し隠し、大人としての礼節を保つ。悔しくな
る。
ビスタにつれられて、ひろしはヘッドまで歩いていく。足取りは覚束なく、ほぼビスタに
よりかかるようにしているのだ。他の隊の者や隊長たちがそれぞれ心配そうにひろし
を見つめている。
オヤジが喉の奥で笑ってビスタに言う。それじゃあまるでお前がひろしの親のようだなぁ。
ビスタはそれにも困ったように笑いながら、小船の前にひろしを押し出した。いやいやと
頭を振るひろしにビスタは言い聞かせるように囁く。
サッチはもう、死んだんだ。
それは、ひろしにとって最後通告だったろう。眼を見開いた彼女の目から涙が一つ、
こぼれ落ちた。それを右手の指ですくいとって、苦しそうにビスタは笑顔を向ける。
「兄弟に最後の別れを」
押し出されるように小船へと足をふみだす。一歩、また一歩と。
何事もなかったかのように彼はそこに寝ている。まるで一昨日の朝の様に、酒瓶を抱えて
いないだけで、本当にいつものように彼はそこに寝ている。
「サッチ」
一言呟くだけで涙がこぼれる。毎日毎日馬鹿をやっていた仲間。兄貴分であり、伯父の様
であり、くだらないことを話し合うことのできた人。あんなにぴんぴんしていたのに。
別れを告げるに、本当に時間がかかった。
ビスタに側にいてもらわないと何もできなかった。
こんなにもこの兄貴分の存在をありがたいと思ったことはない。しかし。
一人の兄弟がこうして、見送られていく。沢山の仲間達が泣いている。小船は隊長達の手に
よって海へと押し出されていく。こらえていた涙は、とどまることをしらない。
どぼん
送り出された姿を見たくなくて、ビスタのマントに顔を埋め、声をあげてないた。
仲間達のすすり泣きにまじり、その細く、儚げに響く。
その肩だき、ビスタも一つ、涙をこぼした。
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