海は碧く、空も青い。鴎が空を飛びながら魚を捕まえようと海面に目を光らせている。偉大なる航路は今日も気まぐれに船を運ぶ為に水面を揺らす。
翻る旗のマークは卍に髑髏。世に知られる白ひげ海賊団である。
その数多ある隊の頂点に立つ男が、メインマストのてっぺんでふぁ、とあくびをした。いい歳こいたおっさんが、まるでやることがなくてぼんやりしている窓際族じゃないかという有様である。いやいや、これでも彼は一番隊隊長なのだ。彼は戦闘に置いて唯一他の隊長達に頭ごなしに命令できうる立場である。
そんなやたらに大幹部である彼が見張り台でぼんやりとあくびをしている。一番隊の隊員にしてみればそれは大事だった。いつも薄く開いた目で状況を正確に把握して瞬時に命令を飛ばす隊長が、だらけきっているだと…!
「なんだよいお前等」
下からそんなに俺を見上げて楽しいかよい。半ば呆れた、叱咤が降ってくる。
しかし怒られたという事実よりも衝撃の大きかったマルコのだらだらした姿。一体何がどうすれば隊長がそうなるのか。その場に居合わせなかったジョズならば首を振っていうだろう。あんま首をつっこむな人のプライベートに。
実はマルコのこの状態はずっと密かに続いている。あの、一人の青年が旅だった時から。気付いている奴は知っている。煙草を一度も吸い込むことなくくわえたまま全て灰にしてしまったり、コーヒーを飲もうとしておもいっきりこぼしたり、指先を炎に変えてじぃっと見入っていたり。
ジョズが、笑っていた。
もう、三年にもなるだろうか。エースがこの船に乗ってから。
オヤジに挑戦するためにジンベエと三日もの間戦い抜き、しまいに自分の船員ごと吸収された。まるで抜き身の刀のようじゃと厳しい目を向けたジンベエは正しい、とあの頃は思った。
オヤジを、暇さえあれば襲い返り討ちにされた青年は、いつも何か思い詰めた表情をしていた。奴が折れたのは確か、あの時の自分の一言がきっかけではなかっただろうか。
今は二番隊の隊長を勤めるあの年若い青年。そのもちうるカリスマ性は海賊団で随を抜き、たった二年たらずであっという間に駆け上がった。
礼儀正しく、笑顔を絶やさぬ彼は、部下を大切にしていた。隊長同士でも仲がよく、富に四番隊のサッチや十三番隊のアトモス、それに自分とよく馬鹿をやっていた。しかし、まだ二十歳になるかならないかの歳で隊長になった奴は、馬鹿をやりながら年上を敬い、オヤジには敬愛の念を忘れなかった。
何がこんなに事態を捻りあげたのだろう。こんなにぽっかりとした気分は。自分でも実はよくわかっていない。
水平線を見つめながら見張り台の壁に寄り掛かると、左足につけた飾りがしゃらりと揺れる。あぁ、これはあいつがくれた物だったな、と思い出し、撫でる。しゃらしゃらと揺れるその飾りは留め金に青く美しい貴石がついていて、それがアンタっぽいよと照れながらくれた顔を思い出す。まるで父と息子程年の離れた自分だが、あればかりは釣られて自分も照れたものだ。
…何を思い出したものやら。自分で自分に呆れてしまう。きっと、あの日の事を思い出したせいだ。サッチが死んだ事が露見し、ティーチが姿を消したあの晩。
エースは憔悴しきっていて、自分がそばにいた。涙を見せずに泣く青年はただマルコに縋り付き、はなさじとした。そんな彼を優しく宥めようと抱きしめてやった。
そのまままさか押し倒されるとは思っていなかったが、マルコはエースを拒否することが出来なかった。あんなに辛そうな顔をした奴を見ていられなかったのだ。
マルコ、マルコは、消えないよな…サッチみたいに死んだりしないよな。
あのくしゃくしゃに歪んだ顔。抱き着いて、見下ろしてくる目。ちりちりと感情が抑えられずに湧き出る炎がこちらの肌を焼く。青い炎と赤い炎、それぞれが交わる衝動は誰にも止められるものではなかった。
あぁ、こんなにも。自分で思い返しながら自嘲する。補給の為に寄った港で買う女よりも、場末の酒場で隊から離れちびちびと飲んだ酒よりも。初めて他人の命を奪った時よりも、あの夜のことは身体の一番奥に染み込んでいた。
エースの馬鹿笑いする顔が浮かぶ。しかしそろそろ自分も気を引き締めなければならないことをマルコは知っていた。
親父ははっきりいって長くはないだろう。だいたい、自分が海賊船に乗った時から既にオヤジはああで、自分達よりも高いところからものを見ていたのだ。
そしてオヤジの部屋には堆く医療機器が積み上げられていることも、常に酸素注入補助器をつけていることも、本人がそれを意にも介さないことも、マルコには判っていた。
だから、今。
エース。
近頃、自分がこんなにも弱かったかと自問する。まだ離れて一年も経っていないだろうに、もう会いたい。
奴の炎が恋しい。そんな自分がおかしいことは知っている。ビスタにも一度心配されたのだ。近頃アンタおかしくないかい、マルコ、と。
そうだな。もう一度会った暁には奴を一発殴ることも考えておこう。
「マルコ隊長!そろそろ潜水しますよ!」
「あいよ」
下から聞こえた声には緊張が混じっている。何を緊張することがあるのだ。
これから仲間を奪い返しにいくのだ。戦争がなんだ?大将がなんだ?王下七武海の奴らがどうした?
「…四皇だぜ、おれ達はよ」今まで避けに避けたこの喧嘩を買わない通りはない。むしろ、己の筋を通して通りを蹴り飛ばす。それが海賊だろう。
さぁ、世界規模の喧嘩の始まりだ。
海に沈む視界を見遣りながら、マルコはぺろりと唇をなめ、笑った。
[2回]
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