その村は、ベイダオのバイシュエから離れた山の中にあった。その村に住まう民のうち、ある一族は鬼ではなくただの人であったが、その小さな村の中で細々とした生活を送っている。人里離れたこの村は、外からの来訪者は少なく、その来訪者は異端の人と見られるのが常であった。
その一族には不思議なしきたりと、不思議な体質を持つ者がまれに現れる。しきたりとは、常に鬼の面をつけて顔を見せぬこと。その体質が顕著にみられるようになるのは、たいていがある行事をすませたあとであった。
一人の少年がいた。稚い少年はその行事をとても恐れていた。二十年ほど昔、この行事を済ませて帰って来た一族の子供の一人には、まさかの凶兆となる体質を持つ者がいたからだ。その子供は一族郎党および村人から迫害されたと聞く。故に少年は自分がその子供の二の舞になるのではないかとおそれた。
しきたりとは、山の麓にある幻と言われる社に一人で訪れ、その祭ってある宝物へ一礼をして帰ってくるということ。あまりに簡単なことではあるが、しかしながらその社には不思議な言い伝えがある。
一人で訪れたものには必ずその晩に何かがおこる、と。
あるものは人に好かれる体質。あるものは動物の一種、たとえば狼、たとえば猫、例えば鳥に好かれる体質。凶兆とされたのは、怨霊に好かれる体質の者。その者の名を村で聞くことはできない。一族の者はきまって険しい顔をして、その名を聞くな、たたりがあるぞと子供を脅かすのである。
ところで、少年には伯父がいた。伯父はいつも煙草を吸いながら農作業に使う鍬や鋤、鎌などを研いでいる。それが彼の仕事なのだそうだ。村人は彼に様々な道具を研いでくれるように頼みに来る。少年は伯父の仕事をみるのが大好きだった。
ある日、今日も伯父はネズミに取り巻かれながら包丁を研いでいた。少年はもうすぐ自分が社にいかねばならぬことを恐れているのを隠しながら伯父に話しかける。おじさん。
「おぉ、どうした?いつもの元気がないな」
「伯父さんは、ネズミに好かれる体質なんだね」
「なんだお前、しきたりを怖がってるのか?」
「そんなこと…あるけど」
呵々と伯父は笑い、包丁の研ぎ具合を見ながらまた砥石に水をかけ、角度を一定に保ちながら研ぐ。さりさりと金属と石が擦れる音が耳に入ってくる。少年は意をけっしてこの伯父に話を聞いてみる事にした。
「伯父さん、伯父さんは、凶兆の体質を持った人の事を知ってる?」
「……お前、そんな話をこんなところでするものではないよ」
「だって、」
「奴は村をでていった。凶兆を持つ者は去った。村は安泰だ。それでいいじゃないか」
でも、僕の親戚の人なんでしょう?
小さな声で呟いた声ははたして伯父の耳にとどいたかどうか。さりさりと音は続く。いつの間にかネズミたちはどこかへ行ってしまっていた。
「…俺たちの一族は、凶兆を持つ者を迫害する。其れをアイツは理解していたはずだ」
実際、このベイダオで戦があったんだ。十分にあいつは凶兆の者だった。伯父は悲しそうな顔で呟く。少年はただじっと耳を傾けている。伯父は手をとめずに次の刃物へ手をだした。
「…だが、俺達のなかで、ハジメだけはちがってたなぁ」
「ハジメ?」
「お前しらんか?筋肉もりもりの、ぼろぼろの墨衣きてる奴」
「…猫の人?」
「あぁ…。あいつだけは村を離れていてその詳細を知らぬし、あいつは見識を深めていたから、俺達とは違うものをもっていた」
だから、カヅラと親しくできたんだろうな。
羨ましそうな顔で、伯父は独り言を続けていた。ネズミたちは帰ってくる気配がない。
「こんな話、聞いたなんて回りにいうなよ。お前まで面倒な事になっちまう」
「…わかった」
「さぁ、もううちへかえんな」
おいたてられるようにして家をでた少年は、帰り道の田んぼのあぜ道で一人の男とであう。
「だれ?」
「この村にきてはいけない者だよ、坊主」
男は仮面をつけていない顔で、笑った。
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