宮兵が居住区の扉を叩き、中にいた人物に用事を告げる。中にいた女は、僅か
に頭を上下に動かして使いのものを労わり、帰らせた。
突然の呼び出しがあって、磨羯宮から上へ続く石段を登っていく。
女神は現在日本の実家に帰っており、日本での仕事が多忙を極め、こちらに戻る
事もままならずにいる。彼女の護衛役をしていた南十字星はお株を黄金聖闘士に
とられて暇を持て余していた。宮の主もいないので、暇つぶしをすることもできずに
ボーッとしていたが、ちょうどいいやとばかりに宝瓶宮、双魚宮につながる階段を駆
け上がる。
「レオーン、通るぞぉー」
冷たい威圧感を漂わせる十二宮。その一番上にあるのがアフロディーテによっ
て守られるこの双魚宮だ。アフロディーテはその本名をレオンといった。初めて
この聖域に来たときに獅子座と被るという事と、その右に出る者がいない容貌を
以ってして、アフロディーテと呼び名されたのが彼の通り名の始めである。
彼女の声に反応してか居住区に繋がる扉が開き、女であるリタでもうっとりす
るような美男子が現れた。今日は非番らしく、私服である。
「何かあったのか? 突然教皇の間にむかうなんて」
「や、シオン猊下に呼び出されちゃってさー」
「まぁ、それくらいしか無いだろうとは思っていたが」
二人して宮内を抜ける。
そういえばこの男の居住区に始めて入った時は、家具も彼の美貌に合わせて豪
奢なものであるだろうという期待を見事に裏切られた。猫足、猫足! とウキウキ
しながらお邪魔した部屋は、見事なまでの北欧スタイル。無駄を省いた、機能的な
美しさをかもし出す空間。後からついてきたシュラが苦笑していたのを今でも思い
出す。
教皇の間に続く石段側の出入り口の階段に座り込み、アフロディーテがリタに誘
いをかけた。
「今デスもシュラも出払っていて暇だ。今晩うちに来ないか」
「やっだぁ、誘ってくれちゃってんの? ディーテったらぁ」
「……気持ち悪いぞ、リタ」
「やかまし。……いいのか、邪魔しても? 」
「飲兵衛二人には見せられない酒をだしてやる」
へぇ、そりゃ楽しみだな。後であいつらに“あたしったらディーテのとこで最上級
の酒を飲んでないからな! ”って言わなきゃな。ニィっと笑って女は話す。男は呆
れて眼を眇めつつ呟く。
「やったら白だからな」
「死ぬじゃんよ。この前シュラとデスに黒と白投げたろ。あたしがあいつ等の怪我の
手当てしてやったんだぞ」
「曲がりなりにも黄金なんだ。死にゃしない」
「……」
ちなみに彼は庭で薔薇を栽培しているわけではない。その小宇宙が、どんな所に
でも瞬時に植物を芽生えさせてしまうのだ。それを利用し、彼は攻撃的小宇宙を凝
縮して魔宮薔薇や黒薔薇、白薔薇を作り出した。原作で彼が常に薔薇を束ね持たな
いのはそのせいなのである。
………まぁ、管理人の勝手な解釈だから特に気にしなくてもいい。
ともかくジト目なリタを軽くスルーして、アフロディーテはクスクス笑いながら
言った。そんな様も美しいのがこの男だ。よくミスティみたいなナルシストになら
なかったものである。
「ほら、早く行った方がいい。兵達が此処まで飛んできた」
「あら」
肩で息をする彼等を見て、リタは仕方なく階段から腰をあげる。
I remember.I want to meet you again.
教皇宮、玉座の間。
果たして其処には、友人とチェス盤を挟んで向かい合いながら火花を散らして
いる教皇がいた。豊かな金髪がベルベットを地に使った深い藍色の教皇衣の上に
流れ落ち、金色の滝を作り上げている。その、端正な横顔に向かって女は声をかけ
た。
「お呼びですか、シオン猊下」
「来たか。実はな、お前にどうしても頼みたい事があるのだ」
ゴトン、と騎士を右に二つ目の列、前に三つ目のマスに置きながらシオンは言
う。むぅ、と唸っているのは天秤座である。見ればチェス盤の横に双方かなりの駒
が置いてある。しかし、童虎側の駒は歩兵ばかりなのに対して、シオンは騎士二つ
に僧坊一つ、塔も一つある。明らかに天秤座が不利であった。
ところでこの二人、共に化け物並みの年を食っているくせにその肉体はやけに
若々しい。それもそのはず、彼等は十八の肉体で蘇っているのだから。アンタ等、
いくつまで生きる気だ? と問い詰めたいのは山の如しだが、そんな事を聞けばホ
ラ、アレ食らわされるのは火を見るより明らかだし、敢えて危険を冒すような愚は
冒したくない。
アレって何だ?
童虎が唸りながら塔を元あった場所から前に五マス動かす。チェス駒はなんと
クリスタル製のようで、酷く重たそうな音がする。ちなみにこのチェス駒、ショ
ットグラスでもある。取った駒のテキーラが飲めるのだ。盤を睨みつけるのは牡
羊座の番になったようだ。細々と盤上を駆け回る白の王をどう追い詰めるかを真
剣に検討している。
勿論、卓袱台返し人間版ですよ。
「ほほぅ、今此処でお見舞いしてやろうか、リタよ」
「……? 聞こえてたんですか」
「アレって何だと聞いたのは私だぞ、当然だろう」
ゴトン。片目を閉じてリタを眇めながらシオンは僧帽を斜め前2マスに置く。つ
いでにチェック、と軽く呟いた。童虎がわたわたと王を移動させる。それを見なが
ら南十字座はごまかしの笑みを浮かべて冗談ですよと弁解しつつ、さり気なく一歩
退がる。
「で、その私に頼みたいことって何ですか」
「あぁ、そうだったな…」
「はようせんかシオン」
「急かすな童虎」
「老師、」
「おぉ、リタ。おったのか」
たった今気がついたように此方を見た天秤座に呆れた笑みを返した。もはやど
っちが遊んでもらってるのか判りませんよ、老師。思わず心中で呟く。
「実はな、この聖域には書物を保管する場所が三つある。知っているな」
「えぇ、この教皇の間と麓のコロッセウムの隣の図書館、十二宮中ではデスの所で
しょう」
「うむ。…でだ、そのうちの一つである山麓の蔵書室の蔵書整理を行ってほしいの
だ」
「…へ? 」
「黄金を一人手伝いに使っても構わん。あそこにある書物は、聖闘士でなければ見
てはいけないものがごまんとある。そこで、黄金の奴等にやらせようと思ったのだ
が」
「考えてみると、余計にむちゃくちゃにしそうなのばっかりなんですね、今残って
る奴は」
「……ま、そんなところだ」
ちなみに今現在聖域にいるのはシャカ、ミロ、カノン、アフロディーテにアイオロス
である。
ムウはジャミールへ戻って貴鬼に修行をさせている。曰く、まだ未熟な腕なのに
聖衣を治したのは流石だと褒めてやりたいが、今ひとつ一番大切なことを悟ってい
るようには見えない、のだそうだ。
任務でロッキー山脈に行っていたアルデバランからは、意外に早く任務が終了し
たので今日中にも帰れるだろうとのこと。
カミュはアイザックと氷河とまたシベリアに行っているし、老師は現在そこにい
るがどう考えてもシオンのお守りのようにしか見えない。いや、むしろお守りされて
いるようにしか見えない。
真面目を絵に描いたような南十字星の相方も任務で英国へと旅立ってしまったば
かりだ。
サガはアイオリアと一緒に日本へ行っているし、こっちへ帰ってきたら帰って来た
でアイオロスの監視とシオンの補佐でてんてこ舞いだ。意外と几帳面なデスマスク
にさせたらどうかとも考えたそうだが、あいつに任せると絶対に何かしらの見返りを
求めてくるに違いない。が、幸か不幸か任務で聖域にはいなかった。
「メイトじゃ、シオン」
「それは私の台詞だ、童虎」
どいつもこいつも。そう考えてリタはため息をつきながら了承した。
「アルー、いるかぁ? 」
「何の用だ? リタ」
「うぉう、真後ろからヌッと出てこられると結構怖いな――ま、そんなんどーでも
いいんだが。アル、ちょっと手伝って欲しいんだ」
金牛宮の居住区に顔を出したリタ。アルデバランを連れて石段を下っていく。白羊
宮を抜けて、行き先は麓の聖域の図書館。恐らくオックスフォードの図書館にも引
けを取らないであろう其れは、教皇や其々の宮の主達がよく活用している。
蔵書の中には、今の世の中ではもう既に失われてしまった言葉――例えばロンゴロ
ンゴなどの文法の本や、歴史書に至っては一般社会の中では謎が未解明のままである
遺跡の作られる経緯などがのっている物まであるのだ。そんなものが世に出てみろ、
この地はパパラッチのような人間で埋め尽くされてしまうのは自明の理だ。
だから故に、時折それらの整理整頓を行わなければならない。
そして、その恐ろしい量の本を整頓するのは至難の業としかいいようがない、とい
うのは既にこの聖域に暮らす者の常識でもあった。
「うわっ、黴臭ッ!! 」
「……洒落にならんな」
本を傷めないために窓は極力少なく、そして沢山の本をなるべく効率良く置いて
おくために天井まである本棚。入った瞬間に顔を顰める二人。
リタがアルデバランにつき合わせちまって悪ぃなぁ、と謝りながら、とりあえず中
央においてあるテーブルの上に、床で見事に散乱していた数冊の本を乗せた。それ
だけでもモワッと埃が舞い上がる。
「ゲホゲホッ、恨むぞシオン猊下!! なんだってあたしがコレをせにゃならんのだ!!
あの人、自分がやるの面倒だからってあたしに押し付けて、自分はチェスやってんだ
ぞ、チェス!! 」
「まぁ怒るな。俺なんか任務から帰ってきたばかりだってのに、そのお前に頼まれて
此処に来てるんだぞ」
「ぐ……」
「雑兵たちには迂闊に見せれんものもあるのだろう、仕方がないな」
とりあえず、埃を除こう。窓を片っ端から開けてしまえ! という訳で、二人で小
さな窓を片端から開け放つ。そして埃を払い始めた。
「そういやリタお前、シュラはどうした」
「あー? あぁ、アイツなら任務ー。イギリスの湖水地方だってよー、いいナァー」
あたしも無理やりくっ付いて行けばよかったなー、とかぼやきながら作業をして
いる。が、あれほど文句を言っていた割には楽しそうだ。無理もあるまい、ああ見えて彼
女は結構本好きなのである。
分厚さが二十センチはあろうかという本をテーブルの上にどすんと置いた。本の
重みでテーブルが壊れやしないかそっちの方が心配だ。表紙を見れば、“古代ギリシ
ャの記録”……解読済みで、しかも良く見ればそれは複製物。つくづくこの蔵書室の物持
ちのよさに感心してしまう。
「全部出すとこのテーブルが壊れてしまうな、一応まとまって収まってる奴は放っておこ
うか」
「んー、そうしよう。……しっかし、上の方にあるヤツに限ってグチャグチャなのは嫌味
なのかねぇ、ったく」
ブツクサと言いながらリタが本棚の奥のほうに頼りなく引っかかっていた梯子を引っ張
ってきて、本が順番通りに並んでいないものを取ろうと手を伸ばす。後ろにアルデバラン
が控えて、棚から抜き取った其れを順にテーブルへ置いていく。
その作業は思いのほか楽に終了するかに見えた。
「んんッ?! なんだこの本、何か取れねぇぞ」
「何かつっかえてるんだろう、左右にずらしても無理か? 」
「やってみてる……げ……ど……っうおわっ!! 」
顔を少々赤らめてあらん限りの力で引っ張る。彼女とて白銀聖闘士。棚のほうが倒れる
か壊れるかするだろうに。アルデバランは本棚が可哀相になった。その瞬間、ズボッとい
う音と共に彼女が後ろに体勢を崩して落ちてくる。
「アル、どいてどいて!! 」
言われなくても瞬時にその場から立ち退いている。
牡牛座の目の前で無様にもどすん、と落ちたリタに、アルデバランは軽く瞠目した。
「珍しいな、お前が受身を取らないなんて」
「痛ェーーー!! シャレなんねぇよ、コレ!! 久々にケツ打った!! 」
「リタ。お前一応女なんだから、ケツって言うな、ケツって」
ギャーギャーとお尻を押さえて転げまわるリタを口先だけで労わって、牡牛座はほか
にグチャグチャになっている本の山へ近づく。似たような本がいくつも開いたままでう
つ伏せて放ってあるのを見て、僅かに嘆息した。
背後でリタがさっき抱えて落ちた本をペラペラと捲っている。
「アルー、ちょっとこいよ。何かコレ、誰だろう? 」
「? 」
拾い上げかけていた本を今度はちゃんと其々の表紙を閉じてそこに残す。床にも散乱
していた本を踏まないように適当にテレキネシスを使って動かしてもと来た道をもどる。
彼女は挟んであったらしい、ボロボロの一枚の紙切れをジッと眺めていた。
上から覗き込むと、どうやら写真のようだ。十三人の人間が写っている。真ん中は女性
であることが一目で分かった。現代のアテナと同じような格好をしているから。
「これ、十三人、いるよな」
「いるな」
「真ん中、アテナっぽいよな」
「あぁ」
「んでもって、この人、シオン猊下っぽくないか? 」
リタが指差した先。
豪奢な金髪に、ムウと似たような丸い眉。切れ長の目を細めて笑っている。そして、そ
の隣にいるのは黒い髪の、アジア系の精悍な顔。ニヤリと人の悪い笑みを浮かべている。
どう見ても老師だ。現在と同じ顔である。
裏を返してみる。何か書いてあるかもしれないと思ったからだ。
と。
わがもとめる友よいずこ
夜はあけて、心さびしく
時はすぎ、時はすぎ
日は過ぎゆけど
友はいずこ、たずねあたらず
「野いちごだな」
「知ってんのか、アル? 」
牡牛座は肯定の意を示す。彼によると、ある一人の老人がその“野いちご”という映画
の中で呟いた言葉なのだという。でも、誰がこの言葉を此処に記したのだろうか。
「シオン猊下に聞いてみるか」
「その前にコレを終わらせないとな」
二人で頷きあい、本の山との格闘を再開した。開け放した小窓からは、太陽が南から西
へ動いていくにつれ角度が変わる日差しが差し込んでいた。
二人が教皇宮に向かい、玉座の間にたどり着いた時。
二人の爺はなんとスイカを食べていた。
「美味いな、日本の西瓜は」
「アテナに感謝せねばな」
「……あんたら……」
「おぉ、リタ。終わったか、ご苦労だったな。コレ食うか? 」
「いただきます」
「…食うのか、リタ。用事は済んでないぞ? 」
あと一歩のところでシオンが差し出した西瓜に齧り付こうとしていたリタは、はっ
と我に返り、一歩退いてからジーンズの尻ポケットから写真を取り出した。西瓜に齧り
付いていた二人の爺は不思議そうにそれを見る。
「二人とも、この写真に見覚えありませんか? 」
「……」
二人は西瓜をそっちのけで写真を覗き込む。顔に懐かしそうな表情を浮かべて。
「懐かしい。これは教皇ではないか」
「おぉ、この真面目な顔は蟹座じゃないのか? 」
「やっぱり、ご存知だったんですね」
牡牛座の問いに二人は肯定の意を見せる。当然だとばかりにシオンは笑う。この文
字を書いたのは自分だと。
「へぇ……。写真、いつ撮ったんですか」
「たまたま時の権力者が聖域に仕事を頼んだ見返りにくれたものがあってな。教皇は
獅子座だったのだが彼はとても珍しい物好きでな、試してみたかったのだろうよ」
「全員……」
「あぁ。戦いが終わったとき、生き残っていたのは私と童虎、そしてアテナのみであ
った」
「そのアテナも聖戦が終わってから数十年で逝去されたしの」
「っ、では沙織嬢も……? 」
「それはありえんだろう。彼女は沙織としてグラード財団を率いてゆかねばならんの
だからな。そんなに早く死んでしまっては単なる神の拠り代でしかないではないか」
「そうじゃの、先代のアテナは本当に拠り代としてお生まれなさった。生きるべき目
的は唯一つ、聖戦に勝つことだけだったのじゃ」
故に、聖戦が終われば自ずと役目がおわる。生きている意味もなくなるわけだ。
「そんな……」
「それが今までの女神の拠り代の運命だったのだ」
だが今の女神は違うと、先も言ったであろう。呆れた口調の童虎にリタはやや口を
尖らせて文句を言う。それで、なぜシオン猊下はその文句を書いたんですか。
「私には教皇、童虎には蟹座が兄の様な存在でな。……今のミロとデスマスクやアフ
ロディーテ、シュラのようなものだ。もう会えないのか思うと、当時の私は辛かった
のだろう……今となっては青かったものだと笑えるがな」
教皇の間から退出して、廊下を牡牛座と歩きながらリタはぶつぶつと言った。あの
筆跡、若い頃に書いたにしては字が綺麗過ぎなんじゃないか。牡牛座が苦笑して応え
る。まぁ、二百と六十年も生きてりゃ忘れる事もあるだろうよ。
「まさかあやつ、あんなもんを見つけてくるとはな」
「おぬしも可愛いところがあったもんじゃの、シオン」
「はっはっは。アレは本当に死ぬ直前に見つけてな。寄る年波のせいか思わず涙が出
たのだ」
「なんせもう二度と会えぬ友達の在りし日がその紙切れにあったのだから、の」
「……なんだ童虎、なぜ泣いている」
「そういう貴様もじゃぞ、シオン」
「やれやれ。年は取りたくないものだな」
「ミソペタメノスも受けずに二百四十三年も生きとった化け物が何を言う」
二人の老爺は、一枚の草臥れた写真を見ながら散っていった友を思い出して泣いて
いた。
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