ゆらゆらと水面が揺れている。そこに泳ぐ魚はやたら雄大に尾鰭を動かしていた。魚本体はその動きの割に小さく可愛らしいわけだが。それが数尾で群を作って、人工の水流に逆らっている。それらを見ているうちに小さく鼻歌を歌っていた。
「サッチ?」
エースが階段を下りて呼びに来た。無意識に歌っていた鼻歌を止めて振り返ると、彼は凄く残念そうな目をした。なんだ俺が何かしたかよとサッチが口を歪めながら問うと、なんでもねぇとエースは慌ててごまかす。
今日はエースが居候しているという家に来ている。初めて来たが、兄弟二人暮らしの割に綺麗だな、と言うと、エースは明後日の方を向きながら、マキノさんが来てくれてるからな、とぼそぼそ呟くのが耳に入った。
いつも話に出てくる弟分のルフィは残念ながら友達の家で泊まりがけのゲーム大会だそうだ。そういえばいつになくサンジが楽しそうに言っていたな、と思い出す。
若いのはいいことだと思う。自分が若い頃はあまり弾けたようなことがなかったなぁ、と思いを馳せ、いやいや俺まだ若いし、と自分の考えを否定する。
そして今日サッチがエースの家に来たのは、先日にエースが言っていた、衛星が大気圏突入した時の映像、しかもアメリカのNASAが撮影したものをネットの海からみつけたというからだ。
ぜひ見てくれすげぇから、と目をキラキラさせて言う彼に、じゃあその動画見てみるからアドレス送れと渋々言うと、エースがうちに来てくれと聞かなかった。たかがその映像を見るためにわざわざサッチを呼んだのか、と思うかもしれないが、エースにとっては非常に大切な事である。
あの時代に生きていた時、感動的なものに対して涙腺がどうにも弱かったサッチが、これを見てどんな風に泣くのかが見たかったのが一番大きな理由だ。きっと鼻っつらを赤くしながらバスタオル取って、とでも言うのだろうと予測して、こっそりとそれをソファ横に準備し、今からそれが目に浮かんでにやにやと笑ってしまう頬をぺしぺしと叩きながら一階に降りてきた。
標的のサッチは水槽を興味深そうに覗き込んでいる。メダカが群れを成している側を悠然と泳ぐ紅い塊を見て、あぁ、と思った。
確かこの間の夏祭りに、ルフィとサボ、帰省していたシュライヤの四人で金魚掬いの競争をしたのだ。残念ながらルフィも自分も上手く掬えずに終わってしまったが、サボもシュライヤも器用にひょいひょいと掬い、仕舞いにテキ屋のおっさんに出目金の稚魚やるから勘弁してくれと言われた。
祭りで掬う金魚は病気を持っていてすぐに死んでしまう、というのが一般的に言われているが、サボから貰った出目二匹は楽しそうに水の中を泳ぎ回っている。
余りに水槽から視線を離さないので、水槽を生け簀か何かと勘違いしているのではなかろうかと思いながら近付くと、サッチは鼻歌を歌っていた。少し調子っぱずれのメロディーが聞こえてくる。エルヴィス・コステロが歌っているのを昔のドラマで聞いたことがあったその歌を、エースはなにかしみじみと聞いていた。
声をかけたら歌が止んでしまって、ガッカリした顔を隠さずに溜息をもらすと、案の定訝しげに首を捻ったサッチに、なんでもないと手を振って、二階へ案内する。
「今パソコンからシアタープロジェクタに繋いだからさ」
「つか、なんでそんなもんあるんだお前ん家」
「じじいが物好きでね」
任侠映画とか好きなんだよなぁ、警察のくせに。と笑いながらサッチの背中を押す。
二階の少し広い部屋に通された。大きなソファとローテーブルがあり、壁際には映写機の家庭用、とでもいったちいさなそれがサイドボードに鎮座している。ソファに座ってて、と言うエースの顔が心なしかにやにやと笑っているのに訝し気な視線をやるが、その意図が計りきれない今は素直にソファに身を沈める。
エースのものであろう白いノートパソコンのデスクトップの海の画像が消えて、代わりに壁に映像が映し出された。プロジェクタの位置を調節し、パソコンを何やら操作していたエースはやがてこちらを見て言った。
「一瞬だからよくみてろよ」
短い動画なのだろう。小さく頷いたサッチは明かりの落とされた暗闇で再生ボタンを押された画像を食い入るように見つめた。
惑星探査機は最後の役目を果たすべく地球を覆う大気の壁へと突入する。先に離したカプセルの後を追うように、その身体は高温で燃え上がる。NASAの職員の呟きが聞こえる。
『高度を下げろ』
『輝いてるな…』
青い炎に包まれ砕けていくその様はまるで鳥のようで、先に見ていたはずのエースまでぽかんと口をあけた。電気をつけた部屋で、小さな再生画面をみたかぎりではただ、綺麗だと思っただけだったのに。
懐かしい姿がそこにいた。ほんの一瞬だったが、確かに彼はそこにいたのである。
「不死…鳥…?」
次いで隣から聞こえた呟きにエースは目を見張る。今生のサッチはあの時代を知らない。
「サッチ…?」
思わず彼を見遣ると、男の目からは一筋、涙が流れていた。いつかのような感動のあまり溢れたそれではない。あまりに淋しく静かな涙。サッチはまともな思考が出来なかった。あまりにも強烈な映像が脳裏を支配していた。暗い空に一つ燈る、蒼い、碧い、青い。見覚えがないのに身体が叫ぶ。
俺の、たったひとつの。
「不死鳥、って…サッチ…?」
「…なん、でもない」
大抵不死鳥なんざ火の鳥みてぇなもんを指すんだったよな、と苦笑したサッチはこちらを真剣な視線でまっすぐに見つめるエースの目にぶつかることになる。
「…どうしたエース」
「サッチはさ、不死鳥、知ってるだろ?」
「不死鳥ったって…」
「あんな綺麗な光、今も昔も一つしか見たことなかったじゃん」
今も昔もと言っても、サッチには青い光を放つ鳥なんぞ見た記憶などない。だから俺はお前みたいに記憶がないの記憶が、とソファのスプリングをばしばし叩いて言うと、エースはしまったという顔をする。
「…ごめん」
素直に頭を下げるエースの頭にぽんと手を置いて、サッチが笑う。もっかい見してもらっていいか?もう一度再生した動画を、サッチはもう、涙を流すことなく見つめていた。
その表情は真剣で、エースには、彼の考えている事など読み取れるはずもなかった。
[5回]
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