思わず部屋から飛び出してきて自分の部屋の扉のナンバーを怒涛の様に押して、開いた扉の内側に飛び込んだ。扉に背を預けてずるずると座り込む。身体に残る酔いはいつのまにか醒めてしまっていた。
「…ありえねぇ」
いくら酔っていたとはいえ、己は女性が好きで、女性の身体を触る機会が少ないからなどという理由であの男に手をだした自分に体中に鳥肌がたつ。罪悪感も同時に湧き上がってきて、蹲ったまましばらく唸り続けていた。
「いい年こいて何やってんだ・・・」
自分の情けなさでしばらくそうやって座り込んでいた。窓の外は朝日がさしこみ、鳥達が朝を告げる歌を歌っていた。
美術館。そこは沢山の絵画や彫刻、工芸品、企画展が開催される。休みの日にそういった場所へふらりと行くのがサッチは好きだった。何も知らずにいくと、休館日だったりするのだがそういう場所の周りには沢山の画廊が立ち並んでいる為に大して困ったりしないものなのである。
自分があまりにも多趣味すぎることをよく心得ているサッチは、一度やってみてそれが性にあえば続けようと自分の中でルールを作っている。絵画などはやってみてよくわかるのだが、まず材料に金がかかるので、体験コーナーなどに行ってやるのが一番だと思っている。もしくは、絵画を眺めてつらつらと絵から連想できる風景や事柄を妄想するのが好きだ。
だが今日はいつもとは違って、後ろからエースがくっついてきていた。サボが言っていたが、どんだけ俺のことが好きなんだこのガキはと少々呆れる思いである。まぁ、懐いてきてくれるのは嬉しい事だし、自分の後ろをちょこまかとついてくるのは可愛げもある。
だが。
「サッチサッチ」
「んだよ」
「あれ見ろよあれ」
エースが笑いを堪えた様子で展示室の隅を指差す。目をやると、禿頭の守衛のおっさんが居眠りをしていた。こっくりこっくりと首を振る様子を見て、エースはくすくす笑いながら小さく囁いた。
「斜陽のゆらぎ」
まさか美術館で現代アートみたいなのが見れるなんてな、と呟くエースに思わずにやりと口角があがる。なかなかおもしろいじゃないかと眇めると、肩をすくめながら、だってここの絵ってそんなに好きなのがないんだもんとエースは言った。
「じゃあお前はどんなのが好きなんだ?」
ぼそぼそと呟く声ですらも響くこの室内に、人影はまばらだ。今日の美術館は企画展もなく、所蔵品がその質を損なわないように保たれたガラスケースの中でぼんやりとした光を浴びている。
「なんだっけ、ほら、サッチの部屋にある海と宇宙がいっしょに描いてあるようなあれ」
「シムシメールか」
「ああいう、青が多い絵が俺はすきだな」
このまだあどけなさを残して笑う顔には、ふと自分よりも沢山歳を重ねているような達観したものが過ぎる事が多々ある。どうしてそんな風に笑えるのか、どうしてそんなに全てを懐かしいというような目で見ることが出来るのか、サッチは常々疑問だった。そういえば最近、エースはいつかのライブで会った男のところに足を運んでいるらしい。
ちょっと突いてやるのも悪くないかと思ってエースに小さく尋ねる。
「お前、ライブで会った奴のところによく行ってるみたいだな」
「え?」
「涙を流して感激するほどだ、よっぽどあの歌が好きなんだろ?」
そう笑いながら言ってやると、エースは少し慌てたように両手を掲げて笑う。いや、ヨーキさんはそんなんじゃないよ、歌に感動したっていうか、懐かしい歌を知ってる人だったから会って話ができてよかったとは思うさ。
懐かしい歌、ねぇ。あれはどう聞いても、過去の海賊が歌っていたであろう歌だ。酒だの、海だの冒険だのと陽気すぎる歌だったと記憶している。あの歌を聞くと、胸のどこかがちりちりと引っかかれるような感覚に陥る気がして、サッチはあの歌があまり好きではなかった。
「でも、ヨーキさんやブルックさんさ、すっごい優しいんだ」
まだひよっこの俺に飯奢ってくれるし、あの歌歌ってくれるし、昔の話もしてくれるし。そういってエースは先にたち歩き、次の展示室へと入って行った。その背中を見やって自分は喫煙室まで足を向ける。そろそろニコチンがきれてきて、観賞するにも気力がいるようになったからだ。
喫煙室には先客がいた。葉巻独特の香りがぷかぷかと漂っている。その男は目元がするどく、しかしここの空気が退屈で我慢ならないという風な顔をして葉巻の煙をふかしているようだった。灰皿の近くに寄って煙草を取り出し、火をつける。
思い切り煙を肺にいれてから、換気扇の回る方向へと腹から息を吐き出す。なんということか、この同じ空間においてそれぞれ個人の自由を演出する己と向うは同時に眉を顰めてしまった。サッチはたまたまとりだした一本がまさかの外れであったことに対して顔を歪めたのだが、相手はどうやら違う様子。葉巻を二本も口にくわえながら、遅いと一言呟いたのである。
「おぉスモーカー、またせたな」
見上げるような大男が笑顔を顔中にはりつけて喫煙室に顔をだした。片手でかるく顔の前をはらったのはあれだ、きっと顔の周りが煙のたまる位置だからだろう。背が高すぎるってのも考え物だとおもいつつその男をサッチは黙って観察した。
「はやく行きましょう、サウロさん。まぁクザン警視監は遅れてくるでしょうけど」
呆れたような諦めたような口調で、スモーカーと呼ばれた男は葉巻を灰皿におしつけてもみ消しながら言った。それに対して聞こえてきたのは不思議な笑い声。でれしししとはこれいかに。
「まぁいいでよ、ゆっぐり待づのもわるぐね」
「…はいはい」
そういってスモーカーが喫煙室の入り口に歩んでいく背中を見ていると、ふいにサウロという男と目があった。サウロは笑顔でこちらを見返してきたが、サッチは何か罰が悪くなって目をそらす。すると男はスモーカーに車まわして待っでろと言いつけて向うからこちらにやってきた。
え、俺何か悪い事でもしたっけか、と思わず自分の素行を思い出す。一番に思い出したのはあの、不思議な髪型の男の首筋。あぁぁぁちょ、変なもん思いだすなよ自己嫌悪爆発するだろう、と頭をかきむしりたくなった。
「おめ、オルビアがいうとった男じゃろ」
「?」
でれししし、と笑う大男はサッチの肩をぽん、と叩いた。おめの面はよっぐ覚えでる。なづかしいな、まんだおめさんは戻ってねぇかと、俄かには聞き取りにくい口調で軽快に笑っている。
「…オルビアさんってどなたでしょ?」
「あんれおめ、あぁそうが」
一度ほれ、図書館でおうたじゃろうに、とまたでれしししと笑い声を上げる男を見上げて、サッチはようやく思い出した。そうだ、あの時、クローバー博士著の海の歴史をみていた不思議な女性。彼女はオルビアというのか。彼女はまるでサッチを知っているように話しかけてきた。この目の前の男もだ。
「俺って、有名人?」
「あぁそうだで、おめさんも有名じゃったわな、でれしししし」
なんで過去形なんだと突っ込みを入れたかったが、サウロは、まんだ会うこともあっぺよと言いながらわらいながら喫煙室を出て行ったあとだった。
[2回]
PR