ぷつぷつ、ぷつぷつ、と古びたレコードの上を回る針が音を立てている。その音を開きかけた百合の花のようなラッパから聞いていると、色あせた記憶が浮かび上がってきた。それは彼がまだ壮年といったくらいの歳の頃合で、彼が生きがいとした男も、全てを預けた男も、可愛がった弟も、愛すべき家族達全てが揃っていた記憶だった。
ぷつぷつ、ぷつぷつ。記憶は古びたコピーの様だ。一番輝かしかった所だけを鮮明に映し出し、瑣末な日々の出来事は曖昧にぼやけていってしまう。パイプに煙草の葉を詰めてマッチで火を入れる。少し吸い込んで空中に吐き出した煙はうっすらと色をつけて空気に紛れていった。
彼の生活はあれから二転三転し、今はなんの変哲も無い片田舎の島で海が見える小屋を建てて住んでいる。たまに呼び出しがかかるともうあちこちにガタが来ている身体を獣に変えて島から飛び立つ。古馴染みの赤い髪の男はそれの行為について何時も、危なっかしいから止めろと口をすっぱくして注意をしてきている。だがそんな小言など聞く耳を持つ年齢でもない。
彼はただ海を眺め続けて飛んでいる。空を眺め続けて飛んでいる。感傷に浸るような神経を持ち合わせたつもりなど昔はこれっぽっちもなかったが、どうやら歳を食ってから随分と涙もろくなった。青い空、青い海。あの日も、全ては青かった、と口元に笑みを佩く。
今日も飛び立った目的は海軍の本部、ではなく彼の家から近い支部である。今は何をできるような年齢でもなく、あの白ひげ海賊団の幹部であった事実から、彼はその腕を買われて犯罪解析などに力を貸したりしている。古馴染み達は犬になりさがったか、と笑うがそんなつもりは毛頭ない。
ただ、もう平和にすごしたかった。自由に生きたかった。彼の時は動き続けているが、同時に冷たく凍ってしまったまま。私は貝になりたい、とどこかの新聞でみかけたが、正に彼は海上の貝だった。世の中に不満があるならば自分を変えろと暴れまわったあの頃とは違い、男は目も耳も口も閉ざしてただ穏やかに生きる事を望んだ。
世界は穏やかだった。あの頃のような激しい時代のうねりなど忘れ去ってしまったかのように、穏やかだった。自分はあのうねりの狭間に置いてけぼりをくらってしまったのだろう。そう考えながらマルコはゆるやかに支部のバルコニーに舞い降りた。もはや顔なじみになった将校がコーヒーを二つ用意しながら待っていた。
「相変わらず無謀なことをするなぁ、とっつぁん」
「てめぇにとっつぁん呼ばわりされるほど老いぼれたつもりはねぇがな」
「やだやだ、年寄りの小言は長いから嫌いだ」
「貴様だったもうおっさんの仲間入りだろい」
「アンタはもう爺さんだっての」
軽口を叩きあいながらソファに沈み込み、コーヒーカップをソーサーから持ち上げた。あいかわらず苦くて薄いそれは全く変わらない。懐から紙巻きをとりだしたがマッチを持ってくるのを忘れてしまった事に気付き、小さく舌打ちをする。
将校も顔を顰めて飲みながら、とっつぁん、そういえばうちに捕まえた奴でよ、白ひげこそが至上だとか喚いている阿呆がいたぞ、そんな阿呆なんかあんたの家族にいたのかい、と尋ねてきた。
「もうちょっと若けりゃ思い当たる奴もいたんだろうけどなぁ・・・」
連絡を取っている知り合いなど、もはや片手で事足りる量となりはてていた。
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