下手くそな鼻唄が穏やかな浜辺に流れている。
一見して壮年に見える男が、浜辺に頼りなく据え付けられている桟橋に腰を下ろし、足先を波に遊ばせながら釣りをしている。海は太陽の光を綺羅綺羅と水面に反射していた。色とりどりの魚が透明な水の中を自由に泳ぎ、しかし釣り針には見向きもしない。男はなかなか釣れないのに苛立つ事もなく、鼻唄をうたい続ける。
傍らのバケツには不幸にもその釣り針へ興味を示してしまった数尾の魚が出口を探してぐるぐると彷徨っている。その様を横目で見下ろして、今日は美味い魚が取れたなぁ、とひとりごちた男はしかしバケツの端を持つと、ひょいっとひっくり返した。唐突に自由を得た魚達は驚いたように水面で一度跳ねた後、大急ぎでここいらを脱出していく。
薄く笑ってそれを見送る男は再び釣り針を遠くへ放り出すように竿を振る。ぽちゃんと音を立てた釣り針は海水の中でたゆたう水に揺れていた。水平線の彼方に小さく船影が見える。あれは近くにある大きな都市の港へ向かう船だろう。こちら側にまわって航行しているのは珍しいが、時たま見かけないこともない。
くい、くい、と釣り針を引かれて男はおっとっと、と言いながらゆっくりと竿を引き上げ、海水をぴちぴちと跳ねさせる魚を見て口元を緩ませる。それから何かを思い出したような顔をして、しまったしまったと独り呟きながら近くにある掘っ立て小屋へ魚の入ったバケツを持って入っていく。
次に姿をあらわした時、男の背にはミルク缶のようなものが一つ。背負子をよっこいせ、と背負い直して、男はなだらかに高度を増す丘陵へ脚を向けた。鼻歌はやんで、次は下手くそな口笛が聞こえていた。
男はそこで待っている。下手くそな歌を歌いながら。たった一つ交わした約束を守って、そこにいた。これは、もしかしたらこんな世界があったかも知れないという仮定の話。潮騒と鼻唄が聞こえるこの場所で、男は待ち続ける。
~中略~
「てめぇ、何が悪い事に片足を突っ込みかけた一般兵、だい」
「はははそんなに睨むなよ」
「変な頭」
「お前にいわれたかねぇよ」
奴は困ったような顔をして笑う。今まで飽きるほど見てきた顔形が、これまた奇怪な髪型をして現れたのだから当然の反応で、それを理不尽だと言われる筋合いなどない。確かに一般人にしては海賊に対して臆せず話しかけてきていた、と自分の迂闊さを呪いながらマルコはじり、と後退さる。
二人がいるのは、何の変哲も無い小さな島の、小さな居酒屋だ。
時間帯は昼だから居酒屋ではなく、小奇麗なランチを提供しているそこは、おばちゃんが奥で、スパイスを効かせた肉の両面にかりっと焦げ目をつけるべく、フライパンでじゅうじゅうと音をたてながら焼いている。その肉はやがて野菜の付け合せの隣におかれ、切り目を入れられ、柑橘類から作られたあっさりとしたソースをかけられるのだろう。ここの肉料理はいつもくどくない味でマルコも奴も好きだった。しかし元々サッチが教えた店だ。だからこうしてこんなところで鉢合わせている。
後ずさりつつ、しかし肉の臭いに腹が空いていた事を思い出し、溜息一つをこぼしてスーツ姿の奴の横をすれ違いながら言い放った。くだらねぇ意地の張り合いなんざ、飯の後でもいいだろい。その言葉を聴いたサッチも顔をくしゃりと歪めて後に続く。しかしカウンターに座ろうとしたところでマルコにけりだされる。どこの世界に隣あって座る馬鹿がいるんだ、近寄んない。
「ひっでぇの」
「てめぇは自分が海軍の将校サマだっつーのを棚にあげんなよい」
「ちぇー」
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